2005年07月22日

師走(8)

 その深い悩みの持ち主はというと、剣術研究会の部室の前で、中から聞こえてきた少女数人の話し声に思わず身構えていた。
 ――大黒様は、あなたに何も教えていらっしゃらないのでしょう?
 ――ええ。
 ――それならば、私から何かを話すべき時ではありません。大黒様も、そうすることが必要であるとお考えなのでしょうから。
 吹雪は一瞬、中に入ることを躊躇った。今部室の中に入れば、どういうことになるかは大体予想がついている。その大半は吹雪自身が自制すれば起こり得ない事象でもある。だから今の適切解は、しばらく馴染みの用務員室で時間を潰すなりして、「彼女」と顔を合わせないことだ。
 しかし、吹雪はそれでもドアノブに手をかけた。彼を動かした力の正体は、自分でもはっきりと分かる憎悪だった。
 部室の扉を開ける。案の定、その音に気が付いて顔を上げたのは、此花咲哉と多賀野瑠璃の二人である。
「うちの部室にまで押しかけてきて、何してやがる」
 吹雪は静かに、しかし怒気を孕んだ声で、瑠璃にゆっくりと詰め寄った。対する瑠璃は、怖じけづく様子もなくまっすぐに吹雪を見上げる。
「木花之佐久夜毘売命にお尋ねしたいことがあって来たの。浅間神社にも行ったんだけど、今はこちらにましますでしょうと、八神先輩から聞いて来たから」
「はっ。神と、神に選ばれた者とで仲良くお話ってか。大方『大厄』の封じ方も見えてるんだろうなぁ?」
 憎悪と皮肉をふんだんに盛り込んだ言葉を投げる。しかしこれに対して当の瑠璃が動じる様子はない。
「いいえ。私がお尋ねしたのは『大厄』をどうにかした後の、もっと先の話」
 吹雪は瑠璃たちを大きく回り込むと、部屋の隅にあったパイプ椅子にどっかと腰を下ろす。
「それはそれは。大黒天様は先見の明のおありと見える。じゃあ俺たち卑しい人間どもは、下座で黙って巫女様の行われることを眺めてるだけでも良さそうだな? ええ?」
 吹雪の罵詈雑言は、咲哉の前であってもなお止まることを知らなかった。公言して憚らぬほどに、瑠璃を憎悪していた。それは智巳などと同じ、血筋ゆえに手に入れた力を持っているという、それだけのことではない。七月恋花は自らが責任を持って鎮めると言い、他の全てを守るという。その姿は、吹雪の目には悲劇のヒロインを気取っているようにしか見えなかった。
 しかし、それ以上に彼を苛立たせていることが、もう一つ。
「そうしてほしいと言うなら、そうするけれども。冬真君はそれで本当に満足できるの?」
「っ!」
 今の瑠璃は、吹雪が自らの憎悪ゆえに自己嫌悪に陥っていることを、完全に看過していた。
 吹雪が思わず、パイプ椅子から立ち上がる。そこで咲哉が口を開いた。
「すみません、戎の巫女は、私に御用があってこちらにいらしているのですから。手荒な真似は止めていただきたいのですが」
 吹雪は動きを止めると、再び腰を下ろす。
「分かってますよ。神の御前で暴力沙汰に及ぶほど、不躾になるつもりはない」
 代わりに瑠璃が席を立つ。
「では、お尋ねしたいことは全てお尋ねしましたので、もう行きますね? ここに私がいると、ご迷惑にもなりそうですし」
「おー。できれば俺の見えないところで全部片付けておいてもらいたいもんだ」
 瑠璃は吹雪の憎まれ口を意に介さず、咲哉に最敬礼すると部室を後にする。吹雪はドアの外まで身を乗り出し、その後ろ姿を見送った。塩があったら撒きたい気分だ。
「畜生、どいつもこいつも力を手に入れた途端に突っ張りやがって」
「おまえが言うな、おまえが」
 刹那、横合いから固いものが吹雪の横っ面を張り飛ばした。
「おおっと、悪い。まだ距離感がつかめなくてね」
 蓮葉朱陽が、うずくまった吹雪を見下ろす。彼は頬を摩りながら朱陽を見上げ返す。
「あにすんですか。明日のジャニーズJr.と呼ばれるこの美少年の顔を、って、ん?」
 吹雪が朱陽を見上げたまま、固まった。彼の視線は、朱陽の肩に担がれて、たった今自分を張り倒した物体に注がれていた。
 それはどこかから刈り取って来たらしい大枝だった。長さは二メートル強。かなり根元から折り取ったような無骨さと、長い時を重ねた年輪とが見える。樹皮は奇麗に剥がされていたが、歳を経たものであるのに反し、その表面は雪のように、白い。そしてその無骨な枝は、ただの枝とは思えぬほどの確かな力を、その周囲に放っていた。
「どっから手に入れたんですか、それ」
「汝鳥神社にあったものを、鬼っ子があたしに譲ってくれたんだ。これであたしもパワーアップという訳さ」
「うわ。またかよ」
 吹雪が目を見開いている。朱陽がそれを見て、目を細める。
「あげないよ」
「わ、わかってますって」
 朱陽は部室の中に大枝を運び込んだ。咲哉が目を見張る。
「大層なものを手に入れましたね」
「やはり豊饒の神であるあんたには、わかるか。こいつは汝鳥神社に千年植わってるっていう神木の枝でね。こいつを削れば神にも打ち負けない刀になると鬼っ子が言うのさ」
「鬼、南東の柱、ですか」
 咲哉はその大枝をしげしげと眺める。
「よい状態で、保存されていたのですね。確かな力を感じます。あれの言う通り、振るえば武器にもなるでしょう。振るうことができれば、の話ですが」
「問題はそこさ。この枝はあたしが振り回すには、少々ごつすぎる代物でね。だけど、削ろうにもノミが刃毀れするほど頑丈と来た。サクヤ様なら、どうにかできるかもしれないと思って、さ」
 咲哉は困ったように首を振った。
「残念ですが、私の術ではどうにもなりません。この枯れ枝に再び命のともしびを灯すことなら、できなくもないのですが」
「じゃあ、サクヤ様は『白河塗り』ってのに心当たりはないかい?」
 傍らで聞いていた吹雪が、怪訝な顔をする。
「白河塗り? なんすか、そりゃ」
「この枝を加工する時に使われた手法らしいんだが」
「あれの、南東の柱の時代に見いだされた方法なら、私にも心当たりはありませんね」
 朱陽が残念そうに大枝を見下ろす。
「サクヤ様でもわかんないか。それじゃあ、後は」
 朱陽は周囲を見回して、ふと、吹雪が自分を見ているのに気が付いた。異様なほどに目を輝かせて、何かに期待するかのごとき風情である。
 朱陽は吹雪を、無言で三秒ほど眺める。
「播磨の爺さんにでも見てもらおう」
「えぇー」
「何さ。爺さんは歳行ってる分何か知ってるかもしれないだろ? それに武器にも通じてるし」
 吹雪がにやけた笑みを浮かべる。
「いやー、うちの知り合いにも武器職人は何人かいますしー。先輩さえよければあたってみてもいいかなぁ、と」
 朱陽は、一つ息を吐いた。
「何度も言うが、譲らないよ? あたしもあんたの言うところの、弱くて卑しい人間でねぇ。折角手に入れたマジックアイテム、太っ腹にもくれてやる訳にはいかんのさ。あたしだけじゃあない。鋼音やロックウェル先輩だって縋れるもんには縋るだろう。わかるだろ?
 だから譲るつもりにはなれん。あんたにゃサクヤ様からもらった鏡があるんだろ。あれで我慢しなよ」
 吹雪が失笑する。
「随分簡単に言ってくれる。こっちのブツはかなりリスキーな代物なんですがね」
 咲哉が吹雪を見る。
「まだ、預けた鏡はお使いになっていないのですね?」
「お使いになっていないどころか。まだこういう状態でして」
 吹雪はブレザーの内ポケットを漁った。布に包まれた円盤状の物体が、吹雪の手のひらの上に現れる。
「てめーの真実の姿とやらを拝むには、ちょいと度胸が足りなすぎ。まあ、稲荷の真の姿を映せるってんなら何時かはみなきゃならんでしょうが。そうだ、蓮葉先輩、その枝と交換しません?」
「断る」
 不意に、部室の外が騒がしくなった。扉が荒々しく開け放たれ、数人の群れが慌ただしく入って来る。
「おらぁ、全員集まってるか! 事件だ、事件!」
 ネイ・リファールが声高に叫ぶ。その両脇に鋼音とトウカを抱えたままで。右脇に担がれた鋼音がもがいている。
「ちょっと、暴力教師! いい加減離しなさいよ!」
 ネイは本当に鋼音たちをその場に放り出すと、今一度部室の外に出る。
「さあ、鴉取もとっとと入らんか!」
「ちょ、ちょっと、そんなに引っ張らないでも」
 ネイは真琴の言葉を無視して、そのまま彼女を部屋の中へと引きずり込んだ。更にその後に続いていた晴海も同様に。
「久しぶりの仕事だ。準備を始めるぞ」
 朱陽が呆れた声を出す。
「仕事って。妖怪バスターの活動は禁止されてるんじゃないんです、か?」
 次の瞬間、ネイはあまりにも機敏な動作で朱陽の脇に滑り込んでいた。その肩を抱いて、ばんばん叩く。
「細かいことは気にするな! 妖怪がでないから活動停止なんであって、妖怪が出れば立派に妾どもの活動も成り立つというものであろうが!」
「ちょっと、痛いです」
 吹雪が呆気に取られて、その光景を眺める。
「センセ、ちょっと酒入ってません?」
「なにを、妾は素面だぞ。間違いなくな」
 ネイは吹雪の肩を掴みかけて、不意に何かに気が付いたようにその脇を素通りした。先程吹雪が座っていたパイプ椅子を部屋の中央まで引っ張り出して、腰掛ける。
「とにかく、妖怪が現れたのだ。現れた以上は妾どもの出番であろう」
 真琴はネイに掴まれた肩を押さえながら、尋ねる。
「一体、何が現れたんですか?」
 ネイが、よくぞ聞いてくれたとばかりに、堂々と胸を張る。
「現れたのは、高原那須子の亡霊だ」
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック