2005年07月22日

師走(14)

 ウォレスは少々やつれた表情で、図書準備室に足を踏み入れると、断続的に何かを啜り上げる音が彼を出迎えた。微かに漂う種々のスパイスが入り交じった匂いが、音源の正体を容易に連想させる。
 部室の中央に置かれたテーブルには、電気ポットと空になった袋が数個。それに向かう朝霞大介が、対面していたインスタント焼き蕎麦の容器から顔を上げる。
「随分と遅かったな、ゲー公。何してたんだ」
「ちょいと大事な生徒の人生を左右する話を」
 ウォレスは、はたとそこであることに気が付いた。
「『イライラする』はどーしマシた?」
「なんで四六時中イライラしてなくちゃならねぇんだ? ぎゃーつく騒いだところで、誰も喜びゃしねえよ」
 そう言って、大介は再び容器との対決に戻る。ウォレスはそれを見下ろしながら、今年初夏の「霧の中の巨人」事件を、突然思い出した。
 そう言えば、あの時。「霧の中の巨人」が一般人に対してゲリラ的な襲撃を繰り返して、皆をやきもきさせていた時も、最も落ち着いていたのがこの少年だった。
 単に根がひねくれているのか。それとも暗黙のアンビバレンツなのか。これで毎回しっかりと成果を上げているのだから、やはりこの少年は侮れない。
 そんな大介がいきなり口を開いてウォレスを驚かせたのは、彼がそんな思索の海に溺れていた時のことである。
「ある意味、ナスビのほざいた話も間違いじゃねぇ」
 大介は凍りつくウォレスを前に、最後の数本となった焼き蕎麦を口の中へほうり込む。
「そもそも妖怪ってな人のねじくれた感情から生まれた半端者で、俺達はそれを狩るからもっと半端者だ。だからパンピーから変な目で見られて当然な訳だが」
 大介はそう言いながら、ソースと加薬が入っていた袋を空き容器の中へ投げ込み、そして右手にした割り箸を、中程のあたりに持ち替える。
 乾いた音。
 大介の右手の親指、人差し指、中指だけでへし折られた割り箸が、四つに別れて容器の中に落ちる。
「だからって、顧問の貴様が一番取り乱してんじゃねぇよ。貴様が凹むのは勝手だ。だが一年坊どもは、貴様の一挙手一投足を常に見てんだぞ」
 最後に、容器の蓋を閉めて、立ち上がる。大介が燃えないゴミ箱に容器を捨てに行くまで、沈黙の時間が流れる。
 その均衡の中で、先に口を開いたのはウォレスである。
「随分と簡単に、言いマスね」
「言うだけならタダなんだから、当然だ」
 ウォレスが両掌で、テーブルを激しく打つ。電気ポットが、細かく揺れる。
「アタシゃね、もうすぐ三十路デスよ。thirty years old! この道に入って結構な年数になるし、妖怪が常態的に出てくる日本の都市の話を聞いて飛びついて、教職やってんのも結構な年数になる。それが妖怪も何もいなくなっちまって、おまけにお前のやってることは非常識だ、なんてこき下ろされて、アナタ平常心でいろって言いマスか!? えー、アンタがたはまだ若気の至りで済まされるお年頃デスから、多少は気楽デショうとも! アタシはもーそんなんじゃ済まないんデスよっ!」
 大介は軽く舌打ちして何かを言い返そうとした。図書準備室の外が不意に騒がしくなったのは、その時である。
「すみませーん、風紀委員会です。オカミスの人、いるんでしょー?」
「出てきてくださいよー。ちょっとお伺いしたいんですけどー」
 ウォレスが頭を掻く。
「あー、なんデスか、今度は。部室までガサ入れしようって腹デスかー?」
 厄介なことになる前に、どうにか言いくるめて帰ってもらおう。そう考えたウォレスがドアに向かおうとした時には、いち早く大介が動いていた。
 ドアを開けた先に、何人か生徒の顔が見える。その表情がみるみる内に青ざめて行くのを見るに、ウォレスは今の大介が、相当恐ろしい形相を浮かべているのだなと、直感する。
「今取り込み中だが、なぁー、にぃー、かぁー?」
 それでも先頭に居た生徒が、勇気を振り絞って大介に答える。
「い、いや、あの。よ、よ~かい、ばすた~の活動してません、よね?」
「してねぇ。だから、とっとと帰れ」
「そ、それじゃあ、中を、調べさせてもらっても、構いません、よねぇ。や、やましいことなんか、何もないんだし」
 ウォレスの目に、一瞬、大介の体の周囲にゆらぐ蜉蝣のようなものが見えた。
「汝鳥学園、部活動・同好会活動規則、第七条」
「は、はい?」
「部活動、同好会活動の内容は常に顧問が責任をもって管理するものである。よって、部活動を監査する場合は顧問の同意が必要である。
 ゲー公は中に居るが、お前らが来るなんて話は、聞いちゃいねぇ。ろくに校則も読んでねぇ癖に正義面して群れ成して来やがって。お前らみたいな連中が一番イライラするぜ」
 大介が一歩前に進み出ると、学生たちは数歩引き下がった。
「し、失礼しました」
 生徒たちは元来た道をすごすごと引き返して行った。乾いた拍手が、鼻息荒く学生たちを見送る大介の背後から聞こえて来る。
「いやはや、お見事な手際デシた。その手腕を見込んで、ちと留守番を頼みたいのデスが」
「なんだ、今度は何処に行きやがる」
 ウォレスは大介の前に進み出る。
「何、ちと小娘んところを様子見に。あっちにも、先程の生徒たちのような手合いが来てる可能性がありマスからねぇ」
「他人の心配より、自分とこの心配しやがれ。イライラする」
「はっはっは、だから信頼の置ける人に防衛を任せるんじゃないデスか。では、行って来マスよ?」
 ウォレスはその場を後にする。かなりの急ぎ足で。
「ったく。盲目になりやがって、んん?」
 大介は廊下の隅に目をやる。支柱が建って大介の位置からは死角になる場所に、人の気配がする。
「まだ、いやがったか。おう、そこに居るのはバレバレだ。とっとと出てこい、そして今すぐ帰れ!」
 物陰に隠れて居た何かの影が、細かく震える。それは三秒ほどすると、観念したようにそこから怖々と顔を出す。
「ど、どうも、こんにちわ」
 大介はそれを見て、もう一つ舌打ちをした。
「イライラする」
 文化祭の時に会った、あの七月恋花と良く似た少女がそこに立っている。
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