2005年04月10日

霜月(1)

 オカルト・ミステリー倶楽部が部室として使用している図書準備室は、資料の山で埋め尽くされていた。
 その山の中に潜り、ウォレス・ジェラルド・ラインバーグがひたすらに資料をめくっている。少々やつれた顔つきで資料に目を通しながら、デスクの傍らに置かれた白磁のティーカップに手を伸ばす。
 酷く冷めた紅茶をすすると、ウォレスは時間の経過を思い出し、顔を上げる。
「……淹れなおしマスか」
 緩慢な動作でファクスシートの束を机に置くと、席を立つ。お湯は何処にあったかと部屋を見回すと、ふとウォレスの目にあるものが飛び込んでくる。
 プラスチックのありきたりなタスクトレイが一つ。倶楽部の裏の顔、妖怪バスターとしての案件を放り込むそのトレイは、今現在、空のままだ。
「……異常事態デスネ。いや、本来ならこれが正常なんデスが」
 体育祭での一件以来、地蜘蛛衆はなりを潜め、妖怪バスターたちの前に姿を現すことはなくなった。それどころか妖怪そのものが汝鳥市内から姿を完全に消してしまっていた。どうやら地蜘蛛衆の手は市内全域に及び、そこに身を潜めていたありとあらゆる妖怪を刈り取って行ったらしい。僅かに残っていた妖怪、例えばマンション・メイヤの住人たちなども、隠れ里に引きこもるなどしてその身を隠し、外の世界とは隔絶していた。
 汝鳥固有の現象とも言うべき妖怪がいなくなり、地蜘蛛衆も姿を見せない。こうなってはウォレスたちも含む妖怪バスターたちは、完璧に干された状態となる。
 ようやく見つけた電気ポットから湯を注ぎながら、ウォレスは一人ぼやいた。
「……ま、今は部活動としての形を為してないし、渡りに船デスかねぇ。主力が怪我したり行方不明になったりしてマスし」
 と、そこに。一人しかいない室内、お湯を注ぐ音に混じって扉を軽く叩く音が聞こえる。ウォレスはティーポットに目をやりながら、その音に応える。
「どうぞー。鍵開いてマスよー」
「……失礼いたします」
 返ってきたのは、妙に丁寧な少女の声であった。しかも、聞きなれない。うちの生徒さんデシタかねぇ、とウォレスが考えている間に、扉が開く音。数秒の沈黙。
「……ちょっと、これ、何なんですの!?」
 湯冷ましの為にティーポットからカップへとお湯を注ぎながら、ウォレスが紙束の山に向けて声をかける。
「ああ、すみまセンね、ちょっと調べ物してマシて」
「それにしたってあまりにも散らかしすぎ……あああ」
 突然、書類の一角が崩れる。ティーカップからポットへとお湯を戻し終えたところで、ウォレスはようやく扉の方へと顔を向けた。
「大丈夫デスか?」
 様子を見るため、書類の山の間から、顔を出す。
 崩れた書類の海に足を埋めて、一人の少女が床にぺたりと腰を落としている。ウォレスはその少女を手早く監察した……研究者のサガだ。
 年の頃は十五か、十六か。生徒たちとも大差はない。今の彼女の姿勢では床に付きそうな長さの黒髪を、首の後ろ辺りで結わえている。制服を着ているが紺色のブレザーで、明らかに緋色を基調とした汝鳥学園の物とは異なる。それが周囲に散乱した書類を呆然と見下ろしている。
 しかし、ここでもう一つ、ウォレスの目に付いたものがある。彼女の傍らにあった棒状の物体だ。
 長さは一・五メートル前後。布に包まれておりその全様は確認できないが、杖としてはあまりに長く、長刀としてはあまりに細すぎる。釣りか何かの趣味でもあるのか。
 と、ここでウォレスの観察レポートは中断された。その少女がずれた眼鏡を直し、ウォレスに視線をやったからだ。その目つきは少々、いや、かなり、きつい。
「……貴方がこちらの代表者の方ですか?」
「まあ、そんなところデス」
 次の瞬間、猛烈な剣幕で少女がまくし立てた。
「その代表者が率先して室内を散らかすとはどういう了見です!? 後進に申し訳は立たないとは思いませんの?」
 馬鹿丁寧なお嬢言葉に圧倒されてウォレスが思わずたじろぐ。
「いやあ、色々と多忙が重なりマシてー」
 少女はウォレスを一度睨むと、膝の上に乗った書類を片隅にまとめ、機敏な動作で立ち上がる。
 身長は一七〇センチ前後。女子としては、案外背が高い。
「片付けます。手伝ってくださいまし」
「いやいや、部外者の方にお手伝いいただくわけには」
 言葉の代わりに、書類の束を押し付けられた。
「放っておけません!」
 書類束を両手に抱えて呆然とするウォレスを放って、少女は書類の山を片付けにかかる。
 両腕にずっしりと重みを感じながら、ウォレスは悟った。どうやら後でお湯をもう一度淹れ直さなければならないだろう、と。

霜月(2)

 一時間後。図書準備室の前に朝霞大介が姿を現した。常に満たされない彼の顔は、今日は何時もに拍車をかけて、険しい。
 その大介が、扉を開けたところで硬直する。
「……何があった」
 ここ数日、修羅場を迎えた編纂室の様相だった準備室が、いまや綺麗に片付き、資料集が本棚やデスクの上に整然と並べられている。
 ウォレスが少女を手で示しながら、肩をすくめる。
「いや、まあ。たいした手際の娘サンで」
 少女が箒を持つ手を止め、顔を上げる。 
「普段から整理整頓を心がけていれば、この程度の技術は簡単に身につきます。自省なさって下さいまし」
 大介が顔をしかめる。
「……かく言うてめぇは何処の何様だ。イライラする」
「ああ、申し遅れました」
 少女は箒を両手で持って自身の前に提げ持つと、ウォレスたちに対して直立の姿勢をとる。
「わたくし、烏丸香奈と申します。京都より参りました」
 頭を下げる少女こと香奈の言葉に、ウォレスは目を見開いた。
「……京都デスと?」
「はい。鴉取家の嫡男の方がここに所属していると聞いて来たのですが」
「鴉取家の嫡男……? ああ、智己君のことデスか」
 ウォレスは思案するようにこめかみを掻く。
「彼なら今ちょっと事情があって、ここにはいないんデスよね」
「どちらにいらっしゃるのですか?」
「剣術研究会の活動に参加中デスよ。活動場所は不定デスが……」
 ウォレスはいったん廊下に出ると、グラウンドを見下ろす。木刀を振る数人の学生の姿が見える。
「今日はあそこで練習してマスね。ほら、あそこで剣を振ってるのが智巳君デス」
 香奈はグラウンドを見下ろすと、もう一度ウォレスに深く頭を下げる。
「そうですか、有難うございます。早速会いに行ってみます。お邪魔いたしました」
 ウォレスが思わずかしこまって。
「いえいえ、わざわざお掃除までしていただき……」
 頭を下げたところで、ふと、ウォレスはあることに思い当たった。
 京都から来たというお嬢さん。名前は、烏丸香奈。
 烏丸。カラスマ。カラス。raven.
 ……そして、鴉取の「鴉」の字も、「からす」と読む。
 そこまで考えたところで、ウォレスは遠ざかる香奈を呼び止めようとした。
「あのちょっと、お聞きしたいことが……」
 更にその背後から、大介に肩を掴まれる。
「おい腹黒顧問。ちょっと顔貸せ」
「へ? いやちょっと、もう少し後じゃ駄目デスか?」
 大介は、そんなウォレスの言葉などお構いなしで、その襟を後ろから掴んだ。
「今用があんだよ、こっちは。たまにゃ顧問らしく生徒の指導に手ぇ貸しやがれ。イライラする」
「顧問には顧問の仕事がデスね……」
「どうせろくでもねぇことだろうが。さっさと準備しろ。イライラする」
 大介に猫のように引っ張られながら、ウォレスは考える。
 いや、まあ。すぐに京都に帰っちゃうわけでもなさそうデスし、いいか。
 でもまあ、いずれにせよ早いうちに捕まえておくに越したことはないか。色々聞きたいこともありマスしね。
 京都の鴉取の本家筋には。

霜月(3)

 冬真吹雪は木刀を肩に担いで、グラウンドに倒れた一人の少年を見下ろしている。
 全身に打ち身をこさえて大の字になっている少年、鷲塚智己に、吹雪は声をかける。
「まだ休んでいいとは、言ってねぇ」
「はいです」
 智己は足を天に向けると、背筋の力を使ってばね仕掛けのように起き上がった。その動作に緩慢さは無く、ぼろぼろの割に気力のほうは萎えていないようだ。
 吹雪は手足を回す智己を眺めながら、小声で呟く。
「……気に入らねぇ」
「え、何か言った?」
「なんでもない。ぼさっとしてねぇでとっとと打ち込んで来い」
 智巳が木刀を正眼に構える。対する吹雪は、右手に木刀を無造作にぶら下げた、自然体。
 まずは、智巳が打ち込む。真一文字に打ち下ろされた木刀を、吹雪は体を捻って受け流す。その体の動きを活かして、一回転。振るわれた横薙ぎの刀を、智巳が引いた刀で受け止める。
 いったん距離を取る吹雪に対し、智巳は大きく踏み込んで追撃する。一撃、二撃と振るわれる木刀を、吹雪が片手に構えた木刀と身のこなしで受け流していく。
 稽古の数を重ねるにしたがって、智巳が吹雪と打ち合える時間も次第に長くなってきた。基礎ができてるだけのことはあって、一度教え始めると、飲み込みは早い。その点は賞賛してやっても良いだろう。
 しかし、それでいい気になってもらっては困る、と吹雪は同時に思う。自分はまだ実力の三割も出してはいないのだから。
 一ヶ月も稽古をつけていれば、そこそこ使える剣客にはなるだろう。だが、あの備前長船を操る以上は、そしてあの祟り神と化した七月恋花と戦うためには、「そこそこ」では困るのである。
 いっそとっとと実戦に叩き込むか。しかし、妖怪が全然出てこない現状ではそれすらも適わない。
 では、もう少し本気を出して、より本格的な実戦稽古をつけてやる以外にないだろう。
 しかし。
(……こいつに俺の本来の剣筋を見せてやるのは、癪に障る話だ)
 …………。
 ああ、そうだ。不愉快なる事極まりない。正直、こいつは、こいつらは嫌いだ。
 この男にしろ、多賀野瑠璃にしろ、大した努力もしてないくせに、血筋やめぐり合わせなどのお陰で「神」と戦う為の力を身につけて、あるいは身につけようとしている。
 幼少の頃は病弱で、少女と見られたことも数知れず。厄払いの為に、本当に少女のなりをさせられた時期もあった。それでも家系であるが故に剣を取り、文字通り血の滲むような鍛錬を重ねて、今の冬真吹雪という一人の剣客がいる。
 彼らの存在そのものが、吹雪の価値観を嘲笑うにも等しい。
「せいっ!」
 智巳の打ち込みを、吹雪はこの日初めて受け止めた。流石に片手では支えきれず、ここで初めて吹雪は両手で木刀を構えた。
 そのまま鍔迫り合いとなり、智巳は吹雪の刀に重心を預けてくる。
「……うざってえっ!」
 吹雪は一度体を引くと体勢を崩しかけた智巳を目掛けて……勢いよく右足を突き出した。
「!?」
 踵が綺麗に智巳の鳩尾へ入り、その身体がくの字に曲がる。吹雪は動きが止まった智巳の首筋へ、木刀を袈裟懸けに打ち込んだ。
 智巳の木刀が地面に落ちて、乾いた音を立てる。持ち主のほうはと言うと、その隣にうずくまって、激しく咳き込んでいる。
 吹雪はその近くに歩み寄ると、汚物でも扱うように、木刀の先でその肩を突付く。
「とっとと立て。この程度で音を上げんな……妖怪どもはもっと姑息な手を使うんだからな」
 我ながら随分な方便だ、と、吹雪は思う。確かに妖怪の生態たるや多種多様だが、まずもって武器を持って切りかかってくる類いの相手の方が珍しい。
 実際のところ、八つ当たりの口実がほしいだけなのかも知れない。良くない傾向であることは、充分に自覚しているつもりなのだけれども。
 その時不意に、吹雪の肩に後ろから手が置かれた。
「何かいらついてるねぇ」
 振り向いた吹雪は、自らの肩を掴む女子の人相に、面食らった。
「蓮葉先ぱ……い?」
「確かにあたしは蓮葉朱陽だけど、何で疑問符がつく?」
「いや、てんでこれまでとなりが違うから……どういう風の吹き回しっすか」
 いつも派手目の化粧をして今時の女子高生然として振舞っている蓮葉朱陽が、吹雪の言葉どおり、まったく様変わりしていた。脱色して栗毛にしていた髪の毛は漆黒に染まり、また化粧も格段に薄い。
「ちょっと心境の変化があってね。それより鴉取のお坊ちゃんに稽古をつけるんだろう? あたしも手伝うよ。あんたはしばらく休んでな」
「え、でも」
「いいから。傍っから見てる限りじゃあんた、なんか邪念が混ざってるように見えるよ」
 吹雪が黙り込む。
「何をどう迷ってるのか詮索するつもりはないけどさ。しばらく頭を冷やした方がいい。坊ちゃんの稽古ならあたしでもつけられるからさ」
「……あい」
 黙して引き下がる吹雪を横目で見送ると、今度は朱陽が木刀を持って、前に出る。智己はと言えば、どうにか呼吸を整え、木刀を杖の代わりにして体を起こしたところである。
 朱陽はそんな智己に歩み寄ると、腕を取って助け起こしながら、声をかける。
「冬真のしごきはきつかったかい?」
 腹を押さえながら、智己が答える。
「きつくやってもらった……と思います」
 朱陽がにんまりと笑う。
「なるほど。まだ余裕がありそうだねぇ。それじゃ、も少し激しく稽古をつけてあげるよ」
 智己の顔から血の気が引く。
「……まじすか」
「大マジ」
 朱陽は掌で軽く智己を押すと、距離を取る。
「ちゃんとついてきなよ。こう見えても蓮葉の血筋、江戸末期の混沌期を大厄と戦ったその系譜は、伊達じゃないのさ」

霜月(4)

 吹雪は呼吸を整えながら、智巳が朱陽に打ち据えられる様を黙って眺めていた。今更そんな光景に何の感傷も湧かないが、それよりも堪えたのは朱陽の言葉だった。
「まさかあのアーパーさんに看過されるとは思わんかった……」
「無様ですわね」
「あん?」
 横合いからかかった声に、一瞬かちんと来て、顔を上げる。吹雪の横で、見慣れないブレザーを着た少女が一人、直立不動で稽古の様子を眺めている。少女の目は、主に智己に注がれている様だった。
「あちらの殿方のことですわ。少々失望させられます」
「わかるのかい」
「わたくし自身は剣技の心得はありませんが、近しい人間にも剣の使い手がおりますので、多少は。動きがぎこちないですし、剣筋も真っ正直すぎます。素人の付け焼刃と大差ありませんわね」
 思わず、吹雪が失笑する。
「いや……実際素人の付け焼刃だぜ? 剣を習い始めてまだ一月経ってねーしな」
「なんですって!?」
 少女が大袈裟に驚いて、爪を噛む。
「なんということでしょう、鴉取の嫡男にまったく剣技の心得がなかっただなんて……」
 吹雪が思わず目を見開く。
「鴉取の嫡男だ? あんた坊ちゃんのこと知ってんのか」
「知っているのは人相だけですが。申し遅れました、わたくし烏丸香奈と申します。鴉取の家とは遠縁の親戚にあたります」
「じゃあ、京都にある鴉取の本家って奴か」
 香奈が驚いたように吹雪を見る。
「よくご存知ですのね」
「それじゃあ、あれか? 大厄の封印、あれのことについても色々と知ってるのか」
「ええ。わたくし、封印の現状調査と鴉取の家に協力を要請する為に京都から参りましたか……」
 吹雪がやおら立ち上がって、親指で自身を指し示す。
「俺も自己紹介しておく。冬真吹雪。この汝鳥学園の非公認妖怪バスター団体、剣術研究会の所属だ。その剣術研究会として色々聞いておきたいことがある。こんな場所じゃなんだ、部室に来てくれ」
 香奈が吹雪と智巳の双方を見比べる。
「わたくしは鴉取の嫡男に用件があるのですが……」
「しばらくはあの調子だぜ? 今は稽古に集中させたい。突貫工事だが使いもんになってくれないと困るんでね」
 香奈はもう一度、智巳を見る。相変わらず、なす術もなく朱陽に叩きのめされている。
「それも然りですわね……わかりました、お邪魔いたします」

霜月(5)

 同じ頃、一年生の教室で。高槻春菜は、たった今多賀野瑠璃から聞いたことに対して、思わず尋ね返していた。
「そんなことが可能なの?」
 瑠璃は一つ首を縦に振った。
「うちの神社、えびす講が近いでしょう? 時期的に神社の霊格も高まるから、私の術でもなんとかなると思う」
 春菜が、更に尋ねる。
「もしも、失敗したら?」
「……最悪、精神が取り込まれることになると思う」
 二人とも黙り込む。春菜は、無言のまま顔を上げると瑠璃の顔を見た。その顔には以前の、何処かおどおどしたような印象を与えるような、縮こまった顔色は伺えない。間違いなく彼女の中では覚悟があってのことだろう。
 自らの心の中へと潜り込み、自分自身に宿った吸血鬼と三面大黒天を御する方法を探しに行くことを、思いつくとは。
「……私に何か手伝えることは?」
 ややあって春菜の口から出た問いに、瑠璃が答える。
「あまりない……けど、もし私が『居なくなった』ら、れんちゃんにもそのことを伝えておいてくれると、助かるかな」
「伝えられるかどうか、わからないかも」
 一瞬、苦笑いが浮かぶ。
「でも、それは私のやるべきことじゃないかな。自分を殺してでも、神に自分の身体を譲り渡してでも、七月さんを止めようって言う考えだったら、今、捨てて」
「…………」
 瑠璃は困ったような顔が混じった微妙な笑みを浮かべたまま、沈黙を守った。
「……吸血鬼を押さえる方法、見つかるといいわね」
「ええ」

霜月(6)

 グラウンドに大の字が二つ描かれている。ウォレスはその一文字を構成しながら、もう一文字の大介に尋ねる。
「……今になって体の捌き方を教えろって、どういう風の吹き回しデスか?」
「今の技術じゃキツネにゃ勝てねぇからだ」
「そんなに、恋花サンのことが気になりマスか?」
 大介はその問いには答えず、身体を起こす。
「んなことより、てめぇが簡単にばててどうすんだ。何のための稽古かわかんねぇだろうが、イライラする」
「まあ、アタシゃデスクワーカーですから。前線で頑張るのは若者の仕事デスしー」
 ウォレスが首だけ反り返って、視線を逆転した視界に彷徨わせる。
 不意に、寝返りを打った。
「……おやおや、彼女を一人にしておくのはいただけマセンよ」
 言うや、ウォレスは跳ねるように起き上がる。それを見た大介が怒りの声を上げる。
「なんだよ、まだピンピンしてるじゃねーか。イライラする」
「アナタの回復が遅いだけデスよ」
 大介もまたどうにか身を起こすと、ウォレスと肩を並べる。
「大体てめぇこそ、気になる奴がいるんじゃねーのか」
「彼女『も』、デスよ。教え子も大事デスが同僚も大事デシテね」
 二人の視線の先には、ブロンドの女性教師、ネイ・リファールの姿が見える。ネイはウォレスたちの気配に気付く素振りも見せずに、校舎の中へと消えていく。恐らく向かう先は部室だろう。
「大方、『食事』を済ませたあとデスかねぇ……にしても、変デスね」
「何がだ」
 ウォレスは腕組みする。
「いえね。なんとなく苛ついてるみたいに見えたんデスよ」
「それは俺に対する嫌味か何かか」
「そういうことではなくデスね。こちらの方には気付いてる筈なんデスが、目配せするでも無視するでもないのが何か引っかかりマス」
 ウォレスはそこまで言うと、歩き出す。目指す方向はネイが消えた先と同じ、汝鳥学園の校舎である。
「野次馬かよ。イライラする」
「いたいけな生徒たちを守るための行動と言ってくだサイ」
 ウォレスはそう言いながら、なお歩調を速めた。

霜月(7)

 実際問題として、その時のネイは、いや正確には、ネイに巣食っている吸血鬼は、かなり苛立っていたのである。
 体育祭での騒動以来、彼はろくな「食事」をしていなかった。彼はかなり慎重に時と場所を選び、一般生徒に目星をつけて吸血を行おうとしたが、常に肝心のところで邪魔が入っていた。
 加えて現在は、瑠璃に寄生した自らの分身とコンタクトが取れない。彼女の周囲では春菜が厳重に警戒している。その上、分身はどうやら強い力によって強制的に眠らされているらしい。かつて剣術研究会に危うく仕留められそうになった際は、この分身のことを材料にして難を逃れた。しかし分身が本来の力を発揮できないことが明らかになってしまえば、彼らは有無を言わさず自らを滅ぼしにかかるだろう。
 まったく、日本人は自分勝手な連中だ。と、彼は思う。
 そも彼が日本に渡ってきたのは十七世紀、江戸時代初期のことである。ハンターの追跡を逃れ、平穏な暮らしを願ってキリスト教徒の居ない国、日本にやってきた。だが、時の運が彼に味方しなかった。伊豆の山村に落ち着いて数年後、江戸幕府による伴天連の弾圧が始まった。彼は周囲の村民たちに告発され、生きながら焼かれた上に二度と再生できぬよう、古い洞門の置く深くに封印された。
 それを再び開封したのは、ただならぬ彼らであると言うのに。何故にここまで酷い仕打ちを受けねばならないのか。
 新たな肉体を再構築するまでには、まだまだ力が足りぬ。どうにか隙を伺わねばならない。そのために彼がやるべきことは、「敵」をより深く知ることだった。中国の戦術家の古い言葉ではないが、彼らの嗜好、趣味、睡眠時間、持病の有無など、隅々に至るまで調べ尽くす。それが彼らの隙を突くためのより重要な材料となるのだから。
 そう思案しながら、彼は剣術研究会の部室に向かう。と、そこには見知らぬ人間が一人増えていた。その人間は彼を見るなり、こう言った。
「あなた、鬼に憑かれていますね!?」

霜月(8)

 睨みあうネイと香奈の後ろで、吹雪が感心する。
「ほほぅ、一発で暴君の憑き物を見抜きやがった。それなりに訓練は積んでんだな」
 香奈が背負った棒状の物体を降ろして構えながら、吹雪に応える。
「そういう家系ですから。お知り合いですか?」
「一応、うちの顧問。まーなんつぅか、自業自得で憑かれた。やるんなら止めねーけど」
 香奈がしばらくネイを睨む。
「……危害を加える相手ならば、やらねばなりませんが?」
 ネイが破顔する。
「やれやれ、初対面の相手を害虫みたいに言う奴ばかりかね、ここは。生憎、私は勝ち目のない戦いはしない主義だ」
「普通の方が相手ならば礼儀を尽くします。でも、今はそうではありませんから」
「……ま、いいけど。ではまぁ、宿主に主導権を譲るとしよう」
 一瞬、ネイが吹雪を見る。
「?」
 百年越しの仇敵でも見つけたかのような、鋭い敵意。吹雪が一瞬身構える。
 しかしそれも数秒のこと。ネイの中の「吸血鬼」の人格が引き下がり、本来のネイに戻る。
「……ん、何だおぬしら。ここは、部室か? 何時の間に妾は……」
 ネイが腕を組む。
「ははーん。さては。妾は無意識のうちにテレポーテーションを会得していたのか!」
「それぜってー違いますから」
 ネイは吹雪のツッコミを無視して、香奈を見る。
「さておき、そこの女生徒。うちの生徒ではないな? 部外者は立ち入り禁止だぞ」
「あ、彼女は訳ありなんで。ちと時間もらいますよ」
 ネイが表情を険しくする。
「をい、今日こそは文化祭の出し物を決めねばならんのだぞ。ナンパなら他所でやれ」
「ナンパじゃありませんって。大体、バニー喫茶ならこの前全会一致で却下されたでしょうが」
「ええい、五月蝿い! 折角妥協案も持ってきてやったと言うのに!」
 吹雪がネイの背中を押す。
「まーまー、後で聞きますから。『大厄』がらみの重要な話なんで、まずはこっちを優先させてください」
「ぬー」
 吹雪は漫画本が積まれた隅にネイを追いやると、香奈を見る。
「んじゃま、色々聞かせてもらいましょうか。茶くらいは出すぜ」

霜月(9)

 香奈が湯飲みを手に、吹雪に答える。
「近頃、東の『大厄』の封印に、不穏な動きがあるとの予見が為されました。わたくしは封印の現状を調査するため、東汝鳥に派遣されたのです」
 メモ帳に手を走らせるのは商売柄である。
「『派遣』ときたね。京汝鳥にも妖怪バスターがらみのでかい組織があるのか?」
「京汝鳥もまた、妖怪の多く引き寄せられる土地柄ですから。汝鳥という名前は、単なる偶然ではないのです」
「それは俺らも知ってる。それも『大厄』の性なんだよな。でもさ、なんで調査役にあんたが選ばれたんだ? 幾ら治安の良いご時世とは言え、未成年女子の一人旅だぜ?」
 香奈は素っ気無く答える。
「調査という役割は、わたくしの会得する術の性質上、最も適任とするところですので」
「……まあ、いいか。じゃあ次の質問。『大厄』ってなどんな妖怪なんだ?」
 香奈は湯飲みに一つ口をつけ、喉を潤す。直後、丁寧に飲み口を拭き取るが、そこに紅が付着しているようには見えない。
「『大厄』の話は口伝においてのみ現代に伝わっておりますので、全貌は今のところ明らかにはなっておりません。ただあまりに強い災厄の力を秘めていたとか。故に二つに分かたれた上、京汝鳥と東汝鳥の二箇所に封印されたと言います」
「その『大厄』は、どんな方法で封印されたんだ?」
「一所に彼のものを封じ、その四方を四柱の神にて結界を成し、更に四の神具を納めた……と、口伝にて伝わっておりますが」
 吹雪がペンを動かしながら、口の端を吊り上げる。
「なるほど、四の神具、か。じゃあやっぱり、他の場所にも備前長船と似た様なのがあるんだな。今度伺いを立ててみるか……」
 香奈が小首を傾げる。
「他の場所? 伺い?」
 背後の扉が開く。それと同時に飛び込んできたのが、トウカ・イーオス・ラインバーグの声。
「失礼致します。少々遅くなってしまいましたが、部会は終わってしまいましたかしら? ささ、サクヤ様もお入りになって?」
 吹雪と香奈の声が、綺麗にシンクロした。
「「サクヤ様ぁ?」」
 部室に入ってきたトウカの背後には、もう一人。黒く、艶のある長い髪を、レースのついた白いヘッドドレスで後ろにまとめ、脛まで届こうかというその先端を改めて大きめのリボンでまとめた少女である。制服のスカートが重力に逆らった広がり方をしているところを見るに、下にはペチコートを着けているものと見られる。
 その少女がトウカの背後から、部室の中を覗き込む。
「あら、お客様? どちらの神子さんかしら」
 香奈がそれを見て、小刻みに震えだす。
「あ、あの。そちらの妙に高い霊格をお持ちの御方は、その、もしかして」
 吹雪が苦笑いを浮かべながら、それに答える。
「あー、お察しの通り。コノハナノサクヤヒメノミコト、北西の封印だ」
 次の瞬間。金切り声に近い香奈の声が部室の中で反響した。
「な、ななな、何と言う罰当たりなことをするのですか!」

霜月(10)

 晩秋の冷たい水道水は、打ち身と擦り傷だらけの肌によく染みた。智巳はそれを被って、思わず歯を食いしばる。
「……あたた」
 智己は今回の訓練が「突貫工事」であることは充分に承知しているつもりだった。だが、剣術研究会の稽古は予想以上に熾烈だった。瑠璃から聞いていた剣術研究会の「特訓」の三割増程度に考えていたが、十割増くらいに修正したほうが良さそうだ。
 剣術研究会に一時移籍して数週間が経過した。その間、智己は備前長船の使い手たるべくがむしゃらに剣を振るい続けてきた。しかし未だ吹雪から、朱陽から、一本も取れた試しがない。
 こんな調子で、備前長船を持って戦うことは、できるのだろうか。
「……もう退院してくるとは思わなかったぞ」
「生憎、体の頑丈なのが取り柄なんでな」
 そんな声が聞こえてきてくれたお陰で、智己は疲労と停滞感によって生じる思考の渦からの脱出に成功した。流水に頭を漱いだ状態で聞いたその声が確かなら、柚木塔子と龍波輝充郎の二人に相違ない。しかも、流しに首を突っ込んだ状態の智己にだんだん近づいてきている。
「かく言うお前は何だって見舞いなんぞに来やがったんだ?」
「そりゃあ、君の入院しているところなんて、滅多に拝めないからね」
「そいつは取り越し苦労だったな。地蜘蛛の連中がまだ汝鳥をうろついてるってのに、いつまでも狭い病室でもたもたしてらんねぇからよ」
 二人の声と足音が、智巳に気付くことなくその背後を通り過ぎる。
「その地蜘蛛衆だが、あれ以来なりを潜めていてね。次の出方がどうにも見えない」
「まったく、奴らときたら一体何を考えてやがるんだ?」
 二人の声と足音がだんだん遠ざかっていく。その間、智巳は蛇口の水に身を委ねたまま、ただそれが顔の脇から零れ落ちていくのに任せていた。
 充分に気配が遠ざかったのを確認してから、顔を上げ、水を止める。塔子と輝充郎が通り過ぎた後を眺めるが、二人の姿は既に見えない。
 智巳はその、人気のない渡り廊下を無言でしばらく眺めた後、呟いた。
「……何で、遠慮してるんだろう?」

霜月(11)

 香奈は新たに淹れてもらったお茶を一つすすって、ため息をつくように息を吐いた。
「申し訳ありませんでした。取り乱したところをお見せして……」
 コノハナノサクヤヒメノミコトが、香奈の目の前で同じく湯飲みを手に笑っている。 
「いいのですよ。こちらこそ驚かしてごめんなさいね。でも、貴方は他の方とは違う様ね。他の方なら、私が神だと聞いても信じてすらくれないでしょうに」
「京汝鳥にも色々な妖怪変化が住み着いておりますが、現身を持った神様を見たのは初めてでしたものですから。しかし……」
 一悶着を収めるまでに、吹雪は「大厄」に関する汝鳥市の現状を、一通り香奈に説明している。
「四方の封印に祀られた全ての『神』が各々の封印を離れて動いている上に、一柱が『祟り神』と化すとは……これでは『大厄』の封印は無防備も同然ですわね」
 吹雪が言う。
「俺たちが頭を痛めてるのは、その『祟り神』になった南西の封印さ。奴ぁ何考えてるのかしらねぇが、祟る相手を生かしたまんま、俺たちをいたぶる様にちょっかい出してきてる。で、こっからは相談なんですが、……えーと?」
 呼ばれたコノハナノサクヤヒメノミコトが、顔を上げる。
「サクヤ、で結構ですよ。此花咲哉。外に出る際はその仮の名で呼んでいただいた方が、何かと都合がよろしいかと」
「随分ストレートな仮名っすね。馬鹿男どもが寄ってきません?」
「?」
 ヒロインが十二人の異なる妹という素っ頓狂な設定の恋愛ゲーム、「シスター・プリンセス」がメディアワークスから発売されたのが二〇〇二年一二月の話。その妹の一人として、当てた漢字は違えど読み方は同じ「サクヤ」がいる。
「ま、さておき。サクヤ様んところにも北東の封印に奉納されてたのと同じような、『神具』があるんですよね。お狐様と戦うために、それ、貸してもらいたいんです。なるべく傷をつけないようにして、返しますから」
「神具、ですか」
 コノハナノサクヤヒメノミコト……以下、混乱を避けるため、表記を「咲哉」とする……が思案する。
「つい最近まで、お社は酷く荒れていましたから……まともな形で残っているかどうかは、分かりませんね」
「一度、探しておいてくれませんか。たのんます」
 一方、香奈が立ち上がる。
「わたくしへの質問へはもうよろしいのですのね? 一度封印の現状を自分の目でも見ておきたいと思います」
「坊ちゃんには会わなくていいのかい? 多分もうすぐ、妹の方もこっちに来るぜ」
「東汝鳥にはしばらく滞在する予定です。その過程で会えればよろしいかと」
 香奈がそう言いながら、足を部室の外に向ける。その時再び、部室の扉が開いた。
「すみません、遅くなりました」
 鴉取真琴が入ってくる。ちょうど、香奈とすれ違う形になる。香奈は真琴の顔を見ると、その場で一礼して、部室から歩み去った。その後を、真琴が振り返ってしばし眺める。
「……今の方は?」
 吹雪らがそれに答えようとした刹那、ネイの声がそれをかき消した。
「おう、込み入った話は終わりか!? とっとと決めるぞ、文化祭の出展内容をな!」

霜月(12)

 香奈が部室の外に出る。と、そこにウォレスが待ち構えている。
「や、どうもまたお会いしマシタね。……話は聞かせていただきマシタ。色々とね」
「まぁ、盗み聞きなんて趣味が悪いですわね」
「いや、失敬。中で聞こうとすると文句を言う人が居マスんで。ところで、本日宿泊のご予定は? 色々お構いできなかったお詫びに、宿くらいは紹介させていただきマスよ」
 香奈が思案する。
「ご好意はありがたいのですが、わたくしは何の予告もなく押しかけた身の上です。それに、ここに来る前に、鴉取の本家にも寄って、宿泊のために部屋を開けてくださるとの承諾をいただいてもいますし」
「何処に行っても押しかけることになるのは変わらないデショ? だったら、同年代の、汝鳥を知る子たちと話をしてみマセンか」
 再び、香奈が考え込む。
「……わかりました。では、お言葉に甘えさせていただきます」
「では、午後六時ごろに校門前で落ち合いマショウ。朝霞君、道案内をしておあげなサイ」
 当然、大介は不平を漏らす。
「こらゲー、まだろくにスパーやってねぇだろうが。イライラする」
「なーに、今のアナタは十分強いデスよ。今のアナタに必要なのは特訓じゃなくて心の余裕だと思いマスよ、うん。じゃ、後のことはよろしくー」
「ったく、体よく放り出しやがって……」
 肩をいからせ歩み寄ってくる大介の容姿を眺めて、香奈が言う。
「……失礼ですが、少し食生活に気を配ったほうがよろしいのでは?」
「余計なお世話だ。イライラする」
 大介は香奈の脇を通り過ぎる。
「……あの、どちらへ?」
「いいからとっとと着いてこいや。ただでなくても今からまわれる場所なんざ、たかが知れてる。ぼさっとしてると日が暮れちまうぞ」
 香奈は慌ててウォレスに一礼すると、大介の背中を追って、足早にその場を後にした。ウォレスは軽く手を振ってそれを見送ると、剣術研究会の部室を見る。
「……さてと」

霜月(13)

 再び、剣術研究会部室。吹雪が恐る恐る手を上げる。
「先生、一つ質問、いいすか」
「言ってみろ」
「当研究会と兎に何の関連性が? ……て言うか、そこまで兎に拘る理由をみっちりと説明してもらいたいんですが」
 一瞬、その場にいた誰もが、ネイの目が鋭く光ったような気がした。
「どうやらおぬしらは兎神の偉大さがきちんと理解できておらんようだ。知れば異論など挟める余地などないと言うのに」
「いや、だから、きちんと理解できるように、その偉大さを説明してもらえば済む話で……」
「とにかくっ! これ以上の譲歩はあり得ん! それでも嫌がるならおぬしらの勝手にせぃっ!」
 ネイを除く全員が、やれやれ、とばかりに目配せをする。ネイがバニー喫茶に代わる譲歩案として持って来たのは「兎神社喫茶」。文字通り兎を祭神として祀る神社を展示ブース内に設けるというコンセプトである。店員は全員神子の恰好をするが、頭には兎の耳を模した頭飾りがつく。
「だいたい、祀るんならサクヤ様の方がいいんじゃないです? 剣術研究会とは大いに所縁がありますし」
「つまり、私が文化祭の間中、そのお店の中で祀られていれば良いのですか?」
 ネイが、談笑を始める吹雪たちに吠える。
「ええい、兎神でなければ駄目に決まっていようが!」
 ウォレスが部室に顔を見せる。
「おやおや、やってマスね剣研の皆サン」
「なんだブリ公、今日は何しに来た!? 敵情視察にきても何も情報はくれてやらんぞ」
 ウォレスはネイの剣呑な言葉に対して、勿体ぶって腕を組む。
「うーん、今日はそうでもあるし違うとも言えマスね」
「どういう意味だ?」
「実は大変お恥ずかしい話なのデスが。オカルト・ミステリー倶楽部は、現在活動可能な部員が非常に限られておりマシテねぇ。部としての形を保つのも難しい状況デス。そこで、ここのところの地蜘蛛衆なる集団の暗躍、および『大厄』の対応につきマシテは、剣術研究会と合同でことにあたらせていただきたいのデスよ。勿論、主導は剣術研究会で構いマセンよ」
 ネイが目を光らせる。
「つまりは、剣術研究会によるオカルト・ミステリー倶楽部の吸収合併ということか?」
「ま、そうお考えいただいても構いマセン。手始めとして今度の文化祭も合同で出展しマセンか。うちは店舗出展を考えてたんデスが、ウェイトレスの出来る子がまずもって少ない状況デスので」
「おあつらえ向きだな、うちも店舗出展だ。そういう話なら混ぜてやっても構わんぞ」
 ウォレスが笑う。
 一瞬、それを見ていた真琴には、その笑顔が「悪戯に成功した悪ガキの微笑み」に見えた。
「で、そちらはどんな出店をお考えなんデス? んーと、兎神社喫茶? ……なんつぅか、すごいコンセプトデスね」
「文句あるか? あるんだら混ぜてやらん」
「そうは申しマシてもねぇ。もともと和風テイストはうちの気風じゃないデスし。吸収合併つぅてもオカミスの気風はなんとか残したいのデスが……そうだ、こういうのはどうデス?」
 言うや、ウォレスはメモ帳を取り出し、それを場の中央に置いた。ウォレスは全員が注目する中で、メモ用紙にざっくばらんなラフスケッチを描き始めた。
「当座、ウチで考えていたのが純英国風喫茶でありマシテねぇ……ま、いわゆる、この頃人気のメイドカフェでありマスよ。そこで剣研の、和のイメージとフュージョンさせマスと。和服の上にエプロンドレスとカチューシャをつけてもらいマシて、出来上がるのがこんな感じデス」
 と、ウォレスが描いたのは、袴姿の上にエプロンドレスを纏った粗っぽい人物のラフ画だった。真琴がそれを覗き込む。
「モダンな感じですね。こういう恰好なら寧ろしてみたい、かな」
 吹雪が後押しする。
「『馬車道』みたいっすね。いーんじゃないすか、そういうのも。ゴスロリ番長はどうよ?」
「ワタシは番長じゃありませんわよ?」
 ネイが、奇妙な盛り上がりを見せ始めたその場に水をさす。
「ちょっと待てい! このスタイルでは兎神のウの字も何もなくなってしまうではないか」
 ウォレスがすかさず口を開く。
「何を言ってるんデス、リファール先生。仮にも神様デスよ、神様。その下で働くということは、いわば神に仕える立場。それが神様とおんなじ恰好をするのは寧ろ罰当たりじゃないデスか」
「だが!」
「よって、ラビットイアにはもっと高貴な役割を与えてやるべきデス。ラビットイアをその頭にいただく者を、店のフロアリーダーとしマス。そしてそのリーダーに最も相応しい人と言えば……やはりリファール先生が適任じゃないデスかぁ?」
 ネイが一瞬で静まり返る。
「何……フロアリーダーに、妾が適任、だと?」
「その通り。全ての店員の中心的存在、崇拝の対象デス。顧問という現在の立場はまさにフロアリーダーにうってつけデショ? まー、どうしてもリファール先生にとっちゃ荷が重いってんなら、どなたか別の方にでも……」
 〇.五秒で答えが帰ってきた。
「やる」
「おお、やっていただけマスかリファール先生。大変な役割となりマスが」
 ネイが一つ鼻を鳴らす。
「勘違いするなよ。売り子の役など本来教員が出張るものではない。だが! こやつらは妾から見ればまだまだ未熟、青二才のひよっこだ! となれば、妾が最も近い場所でこやつらを見守ってやるしかあるまい!」
 生徒たちが、おおー、と、手を叩く。取り敢えず。
「いやー、さすがリファール先生。見上げた心意気、顧問の鑑デスねー」
「任せておけぃ! 皆の者、文化祭では妾に絶対服従だぁ!」
 ネイが腰に手を当て、かんらからからと笑う。そのネイの中で、例の吸血鬼が呟く。
(……単純な宿主だ)

霜月(14)

 夕暮れ時の天乃原を、大介が藪をかき分けて進んでいた。その後ろを香奈がついていく。
 三十分ほど草むらをかき分けたところに、古く、朽ち果てたお堂が姿を現した。大介が背後の香奈を睨む。
「そこが狐の封じられてた場所だ。見たきゃ好きにしろ」
「では……」
 香奈は前に出ると、お堂の状態を検分した。
「……酷い有様ですわね。一体どの程度放置されていたのでしょうか?」
「しらねぇな。この前汝鳥市が地質調査で天乃原を調べた時に見つかったってぇから、少なくてもつい最近までは、市もこんなもんがあること知らなかったことになる」
「封印の存在そのものが、東汝鳥では忘却されていた様ですわね……」
 香奈は堂の床に手をかけて、体重をかけてみた。床板が軋んだ音を立てる。
「何時崩れてもおかしくなさそう。中を見るのは止めにします」
「で、何か分かったのか」
 香奈が首を振る。
「あなた方が調べた以上のことは、恐らくわからないと思いますが……?」
「なんでぇ、京汝鳥の退魔士とやらでも大したこたぁねぇな……イライラする」
 香奈が、歯軋りする大介を見て、首を傾げる。
「何か妙にわたくしを買いかぶっていらっしゃるみたいですが……。最初にここに連れてきたのには、何か意味が?」
「四つの封印の中で一番厄介でイライラするからだ」
 そこへ、別の声が割り込んだ。
「それだけじゃないわよねぇ」
 それは大介ならよく知っている、女の声だった。思わず舌打ちが出る。
「……イライラする」
 一つの人影が藪の向こうから、人目を憚る様子も見せず、大介たちに歩み寄ってくる。その頭には犬を思わせる三角形の耳、そして腰の辺りには幾本もの尻尾が生えている。彼女はその尻尾を器用に動かして、藪がまるで何もないかの様に歩み寄ってきた。
 香奈もまた、それを見て表情を険しくする。
「あれは……!」
 香奈はすぐさま口を結ぶと、背に背負った細長い物体を下ろし、その周囲を包んでいた布を剥がしにかかる。一方、大介は歩み寄る妖狐・七月恋花に対峙して、体を前傾に構える。
「キィィツゥゥネェェェェ」
「あら、やる気? 悪いけど、今日は大ちゃんと遊びに来たわけじゃないのよね」
「てめぇにその気が無くても、俺には大有りだ」
 瞬間、大介の姿が恋花の眼前から消える。
「おっ」
 恋花が思わず感嘆の声を漏らす。次の瞬間、大介が体勢を低くして、レスラー顔負けの瞬発力を以って、恋花の眼前まで間合いを詰めている。
「ヒャハァッ!」
 大介は奇声を上げながら、恋花に組み付こうとする。数本の尻尾が、その動きを予測していたように大介の眼前を阻む。
 刹那、大介は体を捻り、その尻尾を右脇に挟み込んだ。がっちりと腕に抱え込まれた尻尾は、全部で二本。
(何本尻尾が来ようが、極めきってやる!)
 残る尻尾が大介を叩き伏せるべく、蛇のように襲い掛かる。大介は脇に抱えた尻尾を軸に、更に体を回転させる。数本の尻尾が頬を掠めたが、大介はそれをも今度は左脇に抱え持った。両脇に二本ずつ、合わせて四本。
(残るは、五……)
「甘い!」
 次の瞬間、両脇に抱えた尻尾は更に伸び、大介の身体を天高く持ち上げた。そしてそのまま、大介の身体を地面に叩きつける。思わず、呼吸が止まる。残る尻尾が動きを止めた大介の胸板を容赦なく連打しようと、上下左右から迫る。
(……四本、だ?)
 刹那、大介は抱えていた尻尾からすぐさま手を離すと、後方に転がって尻尾の追撃を免れる。
 大介は恋花に敵意の眼差しを向けたまま、ゆっくりと立ち上がった。思わず、恋花が舌なめずりする。
「流石は百戦錬磨の喧嘩屋ですこと。でも両手両足だけじゃ、全部『取る』のは大変でしょ」
「るせぇよ、キツ……」
 影が大介の前に割り込んだ。
「あ!?」
 香奈は大介の前に立ち、棒状の物体を振りかざした。その表紙に、物体の先に取り付けられた物が涼やかな音色を立てる。
 それは巫女が神楽舞に用いる神楽鈴だった。しかし神事に用いられるような、片手におさまる代物ではない。その柄は片手で持つにはあまりにも長く、その末端には磨耗を防ぐように金具が取り付けられている。香奈が柄を地面に突き立てると、葡萄の房のように連なった鈴が再び、しゃりん、と音を立てた。
「よもよすみよりまちふせぎはらへそけいひそけまして」
 香奈が祝詞を唱え始める。恋花がそれを前に、身構える。
「一体どんな芸を見せていただけるのかしら?」
 香奈が、ばさり、と藪を蹴る。彼女はそのまま恋花に立ち向かうように見えたが、一転、その脇に逸れ、祝詞を唱えながら軽やかに走り抜ける。
「いまよりゆくさきやぬちやすくなりはひゆたけくみすこやかにこころにやましきことなくわづらはしきことなく」
「むっ……」
 香奈は恋花の周囲を巡るように移動する。彼女が足を進めるたび手にした杖が大きく振れて、鈴がかき鳴らされる。その様は、恋花を中心として舞っているようにも見えた。
 恋花はその「舞」に慌てる様子もなく、悠然と香奈の方へ視線を動かした。
「なるほど、これは……」
 見れば、足捌きに独特のリズムがある。三歩に一歩、必ず両足を揃える。またその杖は何かを描くように、時折地面を引きずっている。
「結界か」
 恋花はそう言うや、「舞」の中心から飛び退いた。香奈はその恋花を睨みつけると、最後の祝詞を唱える。
「いやとほながにまもりみちびきさきははへたまへとかしこみかしこみもまをす!」
 香奈が杖を地面に再び突き立てると同時に、その周囲を不可視の力場が覆う。恋花はそれを見て口笛を吹いた。
「神楽で結界を成す術は、初めてお目にかかったわ」
 香奈はそれに応えず、結界の中央で叫ぶ。
「貴方、一体何者ですの!?」
 恋花は不敵に笑う。
「大ちゃんだちが今躍起になって倒そうと追いかけてるモノよ。あたしはそれがあんまり至らないから、遊んであげてるだけ」
「本当にそれだけですか?」
 恋花が笑顔に歯を見せる。
「面白いわ、あなた。あなたもあたしの玩具になる資格がある様ね」
「わたくしでは、さして楽しむことは出来ないと思いますが」
 恋花が踵を返す。
「それはどうかしらね……まあ、今日はこの辺にしておいてあげる。また会えると、いいわね」
 恋花は現れた時と同様、その場を悠然と歩き去った。香奈は黙ってそれを見送る。彼女は恋花の姿が見えなくなるのを見計らって、結界を解くと大介に向き直った。
「大丈夫ですか?」
「馬鹿野郎、なんで追わねぇ……イライラする」
 香奈はしれっとそれに答える。
「追っても、恐らく何も出来ませんから」
「何でだ」
「わたくしの行使できるのは、この『祓いの儀』のみですので」
 大介が唾を吐く。
「要するに防御一辺倒ってことかよ、イライラする……ったく、ゲー公に報告しておくか。戻るぜ」
 大介が緩慢な動作で、元来た道を引き返し始める。香奈がその背後から声をかける。
「あの、一体今の妖怪は……?」
「あれが南西の封印だ。俺たちが今戦ってる相手だ。奴も言ってただろう?」
「今のが……?」
 大介が香奈を睨む。
「そんなに祟り神になっちまったのが不服かよ。イライラする」
「いえ、そうではなく……あれは本当に『神』なのですか?」
「あん!?」
 香奈は大介の視線の先で、驚くでも疑うでもない表情で、歩きながら杖を布の中にしまい込んでいる。
「何言ってやがる。あれは正真正銘、ここに封印されてた神だ。七月宮神社の正一位七月宮門年稲荷大明神とか言ったか」
「うーん」
 香奈が考え込む。
「それにしては、あまりにも神としての品格が感じられません。確かに強い力を持っていますが……あれではただの、妖狐ですわ」
 大介は香奈を、しばらく睨んだ。
「それが祟り神ってもんじゃねーのか。さっさと行くぜ」

霜月(15)

 瑠璃の実家である戎神社の周辺は、屋台の骨組みを建てる男たちで賑わっていた。
 えびす講は、通例十一月下旬に行われる、恵比寿天を祭神とした神社の例大祭である。本来は豊漁を願う祭りなのだが、恵比寿天が商売繁盛や豊作の神としても祀られるようになるにつれて、商人の祭としての色が強くなった。戎神社においてもそれは例外ではない。
 戎神社での開催は毎年十一月の一八日から二〇日。今年の汝鳥学園の文化祭が二二日から二四日の開催となるので、双方の行事に参画する者にとっては一週間近い強行軍となる。
 神社の内部では、ご神体の蔵出しやら、祭器の準備やらで慌しく準備が進んでいた。智巳もまたその祭事の準備を手伝い、本殿奥の休憩所で一息ついていたときに、春菜から話を聞いた。
「多賀野さんからそんなこと言い出したんだ?」
「ええ」
 智巳は湯飲みのお茶を一つ煽って、ため息をついた。
「何と言うか、僕には途方もない話だ。それで、僕は何を手伝ってあげればいい?」
「だから、ね。見守ってあげて? 術が成功するように。多賀野さんが吸血鬼をおさえられるように。どの道、今の私たちにはそのくらいのことしか出来ないわけだし」
 智巳が無言で頷く。そこに、春菜が更に続ける。
「なんで貴方にわざわざそれを伝えに来たか、わかる?」
「?」
「鷲塚君、多賀野さんの現状維持を望んでるんじゃない?」
 智巳は無言で、春菜の話を聞いている。
「この前、こう言ったでしょう。多賀野さんの『らしさ』を実感すると、安心できるって。多賀野さんの『現状』を肯定している証だわ」
「いや、それは……」
「意図して言ったんじゃないとしても。鷲塚君は無意識には多賀野さんが今のままで居てもらいたいと望んでいるように見えるわ。そういう風な考え方や態度を、少なくとも多賀野さんの前で示すのは止めて」
 智巳はばつが悪そうに頭をかく。
「じゃ、私、多賀野さんの警備に戻るから。流石にここには七月さんは来ないとは思うけど、鷲塚君も引き続き注意していて」
 春菜は足早に休憩室を出る。智巳はそれを見送って、見えなくなった背中に対し、ぽつりと呟いた。
「上手く言えないけど……成長するのと、別人になるのは、やっぱり違うじゃない……」

霜月(16)

 マンション「グリーン・ルーム」で、香奈は少々青ざめていた。
「……今日は色々と驚かされる出来事が多い一日でしたけれども、どうやらここが極めつけですわね」
「そうですか?」
 何気なく答える真琴の脇を、浮遊霊が通り過ぎていく。グリーン・ルームとしては、よくありふれた光景である。
「不浄の者がこれほど多い中で、平然と暮らせるのはすごいと思います」
「え、でも、ここに遊びに来るのは人畜無害の低級霊ばっかりですし。精々、ドアを勢いよく閉めて驚かせたり、ラップ音を鳴らすくらいで」
「た、大した度量ですわね」
 香奈は気分を落ち着けるかのように、茶を啜った。グリーン・ルームに来た当初こそ、やっきになって霊を追い払っていた彼女だが、あまりの数の多さに諦めている。真琴は、依然血色の悪い香奈に笑いかけた。
「まあ、こんな所ですけど、滞在中はゆっくりしていってくださいね。京汝鳥のこととかも色々知りたいですし」
「では、そのようにさせていただきます。ところで早速お伺いしたいことがあるのですが……『大厄』の封印を鴉取が担っている件、一体どの程度ご存知でしたか?」
 真琴は少し、表情を曇らせた。
「御免なさい、実は私たちも『大厄』のことはつい最近まで名前すら知らなかったんです。おまけに私たちが封印の鍵になっているなんて言われても、どうにもぴんとこなくて」
「どうやらその様ですわね。その件に関してあなた方を責めてもしょうがないのですが……」
 香奈はため息をつく。
「実はここに来る前、鴉取の本家にお邪魔しております。お父様にも会って、わたくしが東汝鳥に来た事情など、一通りお話しました。しかし反応は何と言うか、ピンと来ないご様子でした。烏丸と鴉取は近年疎遠でしたので致し方ないのですが、あそこまで『大厄』の危険性が忘れ去られて久しいとは思いませんでした」
「そうでしたか。じゃあ父も『大厄』のことはあまり知らなかったんですね?」
「果ては『そちらのほうがよく知っているんじゃないのか』と切り返される始末です。どうやら先祖代々に伝えられる過程で、何らかの行き違いがありそれが途切れてしまったのではないでしょうか」
 香奈と真琴、二人同時に息を吐く。
「では、私たちがどんな『鍵』なのかは」
「残念ながら、烏丸の家にも伝わっておりません。鴉取の本家でもお調べくださるとのことですが、何処まで当てにして良いやら」
 真琴が湯飲みをテーブルに置く。
「何かしら分かった時のために、連絡先など教えてもらっておいた方がいいですよね。何時までもここに滞在しているわけにはいかないのでしょう?」
「そうですわね、本来の学業を放り出してここに来ていることですし……」
 真琴は急須に、新たな湯を注いだ。
「それじゃあ、今度は私から質問、いいですか」
「どうぞ、なんなりと」
「兄の稽古の様子は、見たんですよね……烏丸さんから見て、兄はどうでしょう? 見込み、あります?」
 香奈は湯飲みを持ったまま、一つ瞬きした。
「やはりご兄弟のことは心配ですのね?」
「いや、そういうわけでは……」
 今度は香奈が湯飲みをテーブルに置く。
「確かに現状では、あまり頼り甲斐があるとは言えないでしょう。でも、剣術を習い始めて数週間であの技量となれば、話は変わります。弛まず修練を重ねれば、伸びる余地は必ず残っていると思います。修練を重ねる途上で心が折れなければ、という条件はつきますが」
「心が、折れる……」
 香奈が頷く。
「わたくしがそうでしたが、修練の途上で挫折を感じてしまうのは誰にでもあるものです。特に周囲に競う相手が誰も居なかったり、相手が居たとしてもそれが比べ物にならなかったりすると、幾度も自分の意識の中で躓くことになります。お兄様の場合は、後者ですわね」
「ええ」
「ご本人は気がついているか分かりませんが、お兄様の周囲で稽古をつけていらっしゃるのは一騎当千の使い手ばかりですわ。そんな中で揉まれるのですから、当初は、そしてそれからずっと長い間は、遅れを取り続けるのは当然なのです。そんな中で自らの士気の高い状態を保ち続けるのは至難の業です」
 真琴が困り顔で腕を組む。
「智巳さんは……ちょっと気の優しすぎるところがあるから、そういう意味では『折れやすい』かも……」
「他の方に気を割くことが多い分、自分自身に大きな波が押し寄せると耐えられない部類の方ですわね。そういう時に手綱取りが出来るのは、やはり最も近しい方ではないでしょうか」
「ええ」
 真琴が頷いた。
「過剰な優しさは却って自らの身を削ることを、周囲の方が教えて差し上げる必要があります。ただ、あまり突き放すのは当然よろしくありません。傷つき、倒れそうになった時に支えてあげるのもまた、周囲の方の役目ですわ」
「ええ」
 その日の真琴は、珍しく夜更かしをした。

霜月(17)

 いわゆる汝鳥樹海の中心にある、浅間神社。その社の中から、咲哉が何かを片腕に抱えて姿を見せる。
「新しいお社を建ててくれた方は、大事なものだと分かって丁寧に扱ってくださったみたいです。割と良い状態で残っていました」
 丁寧に注連縄で封印されたそれは、くすんだ色をした白木細工の小箱だった。両掌を並べた程度の大きさがあるが、高さはなく、平らなものが中に入っていることは容易に想像できる。
「意外に、小さいもんですね」
「これが北西の封印に奉納されし神器です。俗に雲外鏡などとも呼ばれております、まことを映し出す鏡です」
 吹雪は小箱をしげしげと眺める。その箱の大きさ、そして白木細工の厚さを考慮すれば、片手で扱えるほどの手鏡だろう。
「真実を映す鏡、か。それじゃ、こいつを使うと……」
「七月宮様を映せば、その破り方も自ずと見えることでしょう。ただし、その鏡は扱う者に相応の代償を求めます」
 吹雪が小箱から視線を上に移す。
「代償ってのはなんです?」
「その鏡を使う者は、その鏡を最も間近で見ることになります。つまり、己の姿をその鏡に映し出してしまう可能性が最も高いということです」
「……なるほど、俺自身の真実の姿を映すことになるわけか」
 咲哉が頷く。
「はい。多くの場合、最も醜い自らの一面をさらけ出した姿が映ります」
 吹雪が自虐的な笑みを浮かべた。
「そりゃ、また。さぞかしすげぇ化け物が映るこったろうな」
 今の自らがどんなに嫉妬にまみれているかは、吹雪自身が一番良く知っている。咲哉はそれを知ってか、吹雪に言う。
「貴方は自分自身を正直に眺めることができる方。ただ、それでも鏡を見て正気を保てるかどうかは私にもわかりません。不用意に己の姿を見てしまった場合は、自我が崩れ去ることもあります。貴方はそれでも、この鏡を使いますか?」
 吹雪が無言で、小箱を眺める。やがて彼は軽く笑い、それを手に取った。
「一月かそこらでパワーアップするほど、人は楽には変われないもんでしてね。だったら縋れるもんには縋っときます。例えそれが、ハイリスクローリターンでもね。じゃ、お借りしていきます」
 吹雪が小箱を掲げて頭を下げる。咲哉はそれを見て、呟くように言った。
「御武運を」
 近くの木陰で、春菜が無言でそのやり取りを聞いている。

霜月(18)

 葵寮の、人気のない通路の一角。一人の女子生徒が意識を失って倒れている。ネイはそれを見下ろすと、裂けそうなほどに口の端を吊り上げた。
 最早「彼」は。狂おしいほどに血に飢えていた。見られた時はその時、そいつからも奪ってやれば良い。
 ネイは倒れた女子生徒に馬乗りになって、その首筋に顔を近づけた。
「待てぃ!」
 声と共に、銀色の光が眼前に閃く。慌てて飛びのくと、ネイは「それ」に牙を剥いた。
「また、貴様か……!」
「『また』とは何かな? 身共は謎の宇宙刑事剣士、そなたとは初対面だ」
 その自称宇宙刑事剣士は、顔に特撮ヒーローの面を被り、右手に抜き身の刀を提げて、ネイの敵意を真っ向から受け止めている。
「とぼけるのも大概にしろ……一体何度私の邪魔をすれば気が済むのだ?」
「ふ、この世に悪の芽がはびこる限り、宇宙刑事は銀河の果てまでも行って戦うのだ!」
「誰が、悪か……私は少々血がほしいだけなのに、何故それすらも認めてはくれんのだ!?」
 宇宙刑事剣士が切っ先をネイに向ける。
「敢えて言おう、問答無用であると!」
 振り下ろされた刃を寸でのところでかわすと、ネイは後ろに飛び退いた。宇宙刑事剣士が数歩前に出たところで、ネイは声高に叫ぶ。
「おおい、誰か! 変態だ、変態が出たぞぉ!」
 何人かの学生が通路に顔を出す。一方の宇宙刑事剣士はこめかみに青筋を浮かべて叫ぶ。
「こら、誰が変態か!」
「学生寮の中で、けったいな面を被り、真剣など振り回している貴様以外の誰が変態だと言うのだ?」
 数人の生徒達が剣呑な表情を浮かべ、その宇宙刑事剣士に詰め寄ってくる。中には、バットなど鈍器で武装している者までいる。
「ええい、おのれ覚えておれぃ!」
 宇宙刑事剣士はまるで悪役の末期のような台詞を吐きながら、投石とシュプレヒコールを掻い潜って逃げ去った。ネイはそれを見届けると、壁に手をついた。
「くっ」
 生徒の何人かがそれを見つけて、声をかける。
「大丈夫ですか?」
 ネイが壁から手を離す。何故か妙に頭が痛い。
「……大丈夫だ。なんのことはない」

霜月(19)

 えびす講当日。戎神社の境内は訪れた参拝者で賑わっていた。
 その賑わいから少々外れた毘沙門堂の入り口に、春菜と智己が控えている。
「僕らも立ち入り禁止か……」
 智己が注連縄で清められた毘沙門堂を見る。堂の中からは、先程から断続的に、瑠璃の微かな声が漏れている。
「……多賀野さんが吸血鬼を抑えることが出来なくなったら……どうなるかな?」
 春菜が手に鉄錫を構える。
「その時は、斬るしかないでしょう。多賀野さんは殺されたも同然になるのだから」
「…………」
 智己の手の中で、白木の鞘が微かに、踊った。

霜月(20)

 一面の雪景色。
 何処かの山野だろうか。野山も、木々も、ことごとく吹き付ける風雪に晒され、綿帽子を被っている。空は太陽の光すら見えぬほどに分厚い雲に覆われ、今現在もなお吹雪が荒れ狂って、雪の重みを更に増さんとしている。
 その風雪の真っ只中に立っている……そう知覚してようやく、瑠璃は自らの顔を叩く氷の粒子の痛みを感じた。
(寒い!)
 思わず双肩を抱く。しびれるような寒さが、瑠璃の全身を容赦なく殴打する。今瑠璃が着ているのは白衣と緋袴で、この雪を凌ぐにはあまりにも軽装に過ぎる。加えて足に履いているのは足袋だけで草履すらない。
「一体どうなってるの、これ……?」
 確かに、戎神社の境内に篭り、祝詞を唱えて自分の内面世界に深く潜り込んだ。その筈である。それがこの荒れ狂う世界だと言うのか。この世界そのものが、吸血鬼と三面大黒天とを同時に自らの体内に宿した結果なのか。
 途方にくれて周囲の景色を見回した。そうしている間にも雪は間断なく降りしきり、瑠璃までもその雪の中に埋め込もうとしている。既に膝までも雪の下に埋まったところで、瑠璃は奇妙な感覚に囚われた。
「私……知ってる……この場所を……」
 瑠璃にはその場所に来た記憶がない。それなのに、雪と風が作り出したなだらかな曲面を、周囲を取り囲む木々を、自分は何故か知っている。むしろとても懐かしい場所である、とも。
 そう思うと、今度は妙に元気が出てきた。そうだ、ここは自分の心の中。身体を刺すその寒さは、周囲の光景などに暗示されたまやかしに過ぎない。
 瑠璃は身体に降りかかった雪を払い、本能の赴くままに歩き始めた。薄い足袋で雪を踏みしめるが、その冷たさはあまり気にならなかった。
 歩き続けること十数分。否、もしかしたら数時間にも及んでいたのかもしれない……時間の概念はこの精神世界において、意味を成さないだろう……瑠璃は風雪に霞む視界の中に、ほのかな明かりを捉えた。重い足を引きずり、その明かりに近づいてみる。
 それは丸木で組まれた粗末な山小屋だった。瑠璃が見た明かりの正体は、その窓から漏れるオレンジ色の暖かな光だった。
 せめてこの中に入れば、身を打つ風の冷たさからは逃れられるだろう。そう思って瑠璃は小屋の扉に手をかけ、そして開けようとしたところでそれを躊躇った。
(誰か、いる……)
 小屋の中から明かりが漏れている。それはすなわちここに何者かがいるということだ。大黒天だろうか。否、もしかしたら吸血鬼かもしれない。仮に後者だとして、今の瑠璃に勝ち目はあるだろうか。
 だが、ここで迷っていても何の進展も無い。意を決して、扉を開ける。身体を中に滑り込ませると、吹き込んでくる雪風を嫌って再び扉を閉める。外気が遮断され、心持ち寒気が和らぐ。
 瑠璃は身体に積もった雪を再び払うと、小屋の中に目を向けた。簡素な囲炉裏が中央にある、小さな部屋である。
 そこに一人の男が炉辺に立膝をついて座り、手をかざして震えている。少々くたびれた黒いスーツと黒い唾広の帽子を身につけた、長身の人物。その腕の合間には、奇妙な物体が抱えられている。黒っぽい金属の光沢を持つ、無骨な彫刻を施された一メートルほどの棒で、その先にはこれまた金属製の錘が取り付けられている。まるでハンマーの様に。
 そのハンマーを抱えた黒服の人間が、顔を上げる。無精髭の見える精悍な表情の青年である。
「来たか、多賀野」
「あ、あの、あなたは……」
「ぼさっと突っ立ってねぇで、上がれよ。消火器のセールスしに来たわけじゃ、ないんだろ?」
 男の招きに、瑠璃は一瞬どうするべきか迷った。それを見透かしたように、男が再び口を開く。
「とりあえずあの鬼は、今は弁天と毘沙門が押さえている。徐々に力を取り戻してる様だが、まだまだ俺たちの力には及ばん。その辺は安心していい」
 瑠璃が目を見開いた。
「じゃあ、あなたは……大黒様?」
 男が一つ、瞬きする。
「何をそんな意外そうな顔してる?」
「その……随分イメージと違うなって。大黒様というと、もっとこう、太っててお髭生やしてて、烏帽子をかぶって白い袋を持って……」
 男は……大黒天は、微かに声を出して笑うと、焚き火の煙にむせ返って咳き込んだ。息を整えると、改めて瑠璃を見る。
「そういう見え方のする大黒天もありだろう。だが、これでも昔は破壊を司る神だったんだぜ? 姿なんて後世の人間達の思惑によって幾らでも変わる。先行してる印象ばかりを当てにすんなってことさ」
「はあ……」
 瑠璃は一礼して、大黒天の脇に座る。その間に大黒天が胸ポケットを探る。取り出したのは軽く潰れた煙草のケースである。
「お前も一本吸うか?」
「……け、結構です」
 大黒天は同様にポケットからライターも探り当てると、自分の口に咥えた煙草の先に火を灯す。一度吸って、吐いて、紫煙を燻らせると、鋭い視線を瑠璃に向ける。
「それで、用件はなんだ……って聞くだけ、野暮か。七月のをどうにかしたいんだろ?」
 瑠璃が姿勢を正す。
「大黒様なら、れんちゃんを何とかできるんでしょうか?」
「無理だな」
 一秒と間を置かない即答に、瑠璃が思わず前へつんのめった。
「……む、無理ぃ?」
「奴ぁ俺たちと同等の格を持つ神だからな。まともにぶつかったらお互いただじゃ済まない。七月のも充分それぁ分かってる筈だ」
 あたふたと瑠璃が手を振る。
「そ、それじゃあ、一体、なんで私が依り代に選ばれたんでしょう、か?」
「何だお前、まだ気がついてないのか?」
「へ?」
 気抜けしたような表情を浮かべる瑠璃を見て、大黒天は一つ舌打ちする。
「その様子だと此花からは何も聞いてないか……。七月のはまあ、ああいう性格だからなぁ……まあいい、俺たちも乗るとするか」
「……?」
 大黒天が煙草の灰を炉辺に落とす。
「俺が、というか俺たちがお前の身体を借りることにしたのは、実は七月のをどうにかする為じゃあない。汝鳥で起こってる混乱を収めるためには、どうしても自在に動ける体がほしかったんだ。俺たちには七月宮や此花のような、現身を持つ術がないんでな」
「それがどうして、私だったんでしょう?」
 大黒天が外の景色を見る。
「なあ、瑠璃。お前、この外の世界が何であるか、分かるか?」
 質問に対して返ってきたのは、また質問だった。
「え? あ、あの……ど、どこかで見たことがあるなということくらいしか……実際、ここまでも迷わずに来れましたし」
「そりゃそうだろうな……この吹きすさぶ雪の世界こそ、お前の心の中そのものなんだから」
 瑠璃は驚いて再び眼を見開くと、大黒天の顔と、窓の外に吹き付ける雪とを交互に見た。
「これが、私の心の中……?」
「そんな、意外か? まぁー、野山に花咲き乱れ蝶々が飛ぶのどかな景色でも想像したんだろうが、実際はそうじゃない。この極寒の世界こそお前の原初。降り積もる新雪の如く清らかでありながら、荒れ狂う吹雪の如く苛烈。それが本来のお前の心だ……そしてその精神の持ち主は、他の追随を許さない強力な巫力の使い手にもなりうる。高格の神すら祀り鎮めることもできるくらいにな。
 それが、さっきの質問に対する答だ。お前は自分が思ってる以上に、ずっと強い力を持ってるのさ。お前がその力の使いかたを『思い出せば』、七月のを鎮めることも出来るようになるだろうさ」
 瑠璃は躊躇いがちに、もう一度外を見る。
「この世界は、大黒様たちが作ったものではないのですか……?」
「馬鹿言え。あの鬼はともかく、俺達はなーんにもお前の心をいじくっちゃいない。ただでなくてもあの鬼がお前の魂を食い荒らさないように見張ってなきゃならん。そんなもんに手を出す余裕はない」
「でも、大黒様を降ろして以来、私、自分が何者か分からなくなるときが……」
 大黒天はため息を一つつく。
「それは、俺たちやあの鬼がお前の精神に干渉した影響だが、それ自体によっておまえ自身の人格が傷つけられたわけじゃない。お前は取り戻しつつあるんだ。本来の自分をな」
「本来の……?」
 ああ、と、大黒天が頷く。
「俺達を祀る多賀野の血筋には、時折お前みたいな強い巫力を持った娘が生まれてくる。ただその力は、人間の器ン中に収めておくには少々強力すぎる力でな。その為に魂が不安定な状態で生まれてくることが多いんだ。その結果どうなるかってぇと、魂がその器である身体を、上手く扱えなくなっちまうんだ」
 瑠璃は大黒天の言葉に対し、ある一つの可能性に行き当たった。恐る恐る、声を絞り出す。
「……う、上手く扱えないと、どうなっちゃうんでしょう、か……?」
 大黒天が、薄い笑みを浮かべながら、瑠璃を見る。
「その様子だと、薄々感づいてるんじゃないのか? お察しの通りだと思うがね」
 瑠璃が言葉に詰まる。
「そ、その、つまり」
「何もない処で躓いて転ぶ。考え事をしていて電柱に正面衝突する。味覚音痴で壮絶な味の料理を作る。魂が身体を操縦できてない、典型的な例だぁな」
「ああああああああ」
 瑠璃が自分の耳を押さえて悶絶する。大黒天はと言うと容赦なくその腕をつかみ、瑠璃の顔を無理やり自分のほうに向けさせた。
「打ちひしがれてる暇はねぇぜ。それの致命的なのは、『ドジっ娘』になっちまうことじゃない。もっとまずい不都合があるんだ」
「もっとまずいこと……?」
「それはな。周囲にまでその『ドジっ娘』のイメージを植え付けちまうこと、だ」
 動きが止まる瑠璃に対して、更に大黒天は言葉を続けた。
「これまでお前の周囲、例えば家族、同級生は、どんな目でお前を見てきた? 何をやらせても駄目な、手のかかる娘として慎重に取り扱ってきたんじゃないのか? 周囲にそんな目で見られ続ける性で、今度はお前自身がそのイメージの枠ン中にはまっちまったんだ。結果、魂はおまえ自身が作り上げちまったイメージに勘違いを起こし、より強く『ドジっ娘』の型に嵌まり込んじまった。
 これまでも、多賀野の血筋には似たような素性の娘が時たま生まれてたんだが……その多くは己の本来の力に気付かないまま、一生を終えた」
「……そんなことが……」
 大黒天は再び煙草の煙を吐き出した。
「俺から言えることはただ一つ。さっさと自分を取り戻せってことだ。そうなれば俺たちの目的も達成しやすくなるし、お前も七月のを押さえることも出来るかもしれねぇ。ここに俺たちは利害の一致を見る」
 沈黙。瑠璃はしばらく俯いて黙り込んだ。
 しばらくして、瑠璃の口から声が漏れる。 
「一つ質問しても、いいですか」
「何でも聞け」
「本来の自分を取り戻すってこと……それは今の私が消えるってことですか……?」
 大黒天はそれを、首を横に振って否定した。
「まあ、様変わりした、と思われるのは間違いないがな。だが、そいつを恐れちゃいけない……本来の姿がどうであったとしても、お前はお前、多賀野瑠璃だ。いいか、とっとと目を覚ませよ……こちとら大厄とかいうつまらないものに、何時までもかかずらってる暇はねぇんだ」
「……え?」
 目の前の光景に、霞がかかる。

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