2005年07月22日

師走(1)

 汝鳥学園の、職員室。
 堀サワンの前に座る人物は、血色の悪そうな顔で、デスクにバインダーを置く。
「アタシはワンランク上げてもいいと思いマスね。最近模試の成績もよくなってきてるみたいデスし」
「またまたぁ」
「いや、お世辞じゃなく。さりげに勉強はきちんとやってたんデショ。何時もいっぱいいっぱいな感じだったから、勉強できてないかなとか心配してたんデスけど」
 サワンは苦笑いの表情を浮かべる。
「やりたいことが、ありますんで」
「まあ、受けといても悪かないデショう。そうデスね、養護をやるんならこのあたりでどうデス?」
 ウォレスは手にした大学リストから幾つかの大学を選んで赤丸をつける。
「うーん、受験料かかるしなぁ。まあ、考えてみます。あ、あと、それから、先生」
 ウォレスが顔を上げる。
「ん、何デス?」
「最近先生、体の調子とか悪いトコとかないですか?」
 ウォレスは一度目を見開いて、瞬きした。
「え、何でデスか?」
「いや、その。どことなく元気無さそうに見えたもので」
「いやデスねぇ、サワンさン。アタシゃ至って健常体デスよ。悪い所なんて、こっちが探してるくらいだ」
 ウォレスはそう言うとへらへら笑った。サワンは目を細めて、そんなウォレスの顔を凝視する。
(そうは言いますがね、先生。目に生気が宿ってなさ過ぎですよ)

師走(2)

 一時間後。サワンは図書室で、弁舌を振るっていた。
「と、そういうわけで、ここんとこのゲーさんの痛々しさはもう、見てらんないワケよ。もう、人生の全てに疲れ果てました、って、そういう感じ?」
 春日部晴海は参考書との戦いをさっさと諦めると、サワンの話を傾聴していた。
「なるほど、相当根が深いみたいですね。やはり、あの歌の影響なんですかね?」
「でもさ。俺たちもゲーさんと同じで那須子ちゃんの歌を聞いている訳じゃない? あの落ち込み方はちょっと異常だと俺は思うけどなぁ」
 晴海は少し、思案する。
「人にはそれぞれ、異なる捉え方があるってことじゃ、ないですかねぇ。僕自身は、妖怪がいなくなって汝鳥市に平穏が戻るのは悪くないと思うんですが。本来、それが普通のことである訳ですし」
「そりゃ、そうだけどさ」
 サワンはテーブルに頬杖をつく。
「まだ、あの昆虫人間の話が片付いた訳じゃないじゃん。現状は言わば、奴らが作った仮初めの平和だよ? 手放しで喜べたもんじゃない」
「それは、当然」
 晴海は右手に持ったままのシャープペンシルを一つ指で回してもてあそんだ。
「相手の出方が見えぬ以上、どうしようと騒いだところで何もできやしません。じっくりと構えて、動くのを待っていればいいんじゃないですか。それに」
 背後に視線を配る。
「僕らの優秀なる後輩たちは、誰かが何か言わなくたって事態改善のために動き始めてますよ」

師走(3)

 その、背後で。
「ひーまーでーすーわー」
 トウカ・イーオス・ラインバーグが机に突っ伏して、さめざめと涙を流している。
「ジョシュアさんは行方不明だし。狼さんもどっか行っちゃうし。メイヤは隠れ里の門を閉じちゃうし。ワタシはいったいどなた『で』遊んでいればよろしいのかしら。ああー暇ー」
「あんた煩いわよ。しかもさりげに言ってることがえげつないし」
 トウカの向かいでは、御神鋼音がトウカと同じように突っ伏して、むくれっ面のままトウカを睨んでいる。
「こんなとこで腐ってる暇があったら、あの地蜘蛛どもでも探しに行ってらっしゃいよぅ。あんたのターミネータばりの馬鹿力なら、奴らくらい余裕でのせるでしょうに」
「煩いっつったって、先輩ほどじゃーありませんわー。大体、何もしていないのは先輩だって一緒じゃありませんのー?」
「余計なお世話だ!」
 鋼音は机に両手をついて身を起こす。
「あたしは考えてるのよ、今後の計画を! 妖怪が汝鳥からいなくなってくれたお陰で、奴らをぶっ飛ばして一気に知名度を上げるとゆー、あたしの完璧な汝鳥征服計画は見事におジャン! しかも妖怪バスターとしての活動まで禁止ときた! かくなる上は! 全ての元凶であるあの地蜘蛛衆を何としても探しだし! ヒィヒィいわして鬱憤を晴らすしかないでしょーがっ!」
「でも蜘蛛さんを探す方法がないからここで愚痴ってるだけですわよねぇ」
「それを言うな、それを」
 鋼音は萎縮して、再び机に突っ伏する。その時、ふとトウカの隣でノートを広げている少女が鋼音の目に入る。
「で、あんたは一体何してるの。今更期末試験の勉強かー?」
 対する鴉取真琴に、反応はない。シャープペンシルで時折ノートをつつきながら、無表情でノートを眺めている。ただよく見ると、教科書や参考書の類いはまったく広げられていないので、試験勉強とは若干毛色が違うものであるとわかる。
 鋼音がそのノートを覗き込む。真っ白いノートの上に書かれていた文字は、たった四つ。「真琴」「智巳」と少し間隔を置いて書かれている。シャープペンシルは緩慢な動作で、その二つの名前の間を行ったり来たりしている。
 鋼音はそれを眺めて、一言こう言った。
「ブラコン?」
 真琴が顔を上げる。
「何想像してるんですか」
「だってこの文字その動作。片思いの人を想うせつない女心を表現しているとしか思えません。ああっ、病弱な妹とそれを見守る優しき兄。何時しか二人の間に特別な感情が芽生え、禁断の愛に発展か」
 鋼音が顔を赤らめ、身をよじりつつ妄想を展開する。真琴は何の抑揚もなくその様子を見つめると、口を開く。
「でも、沙本昆売も軽皇子も最後はすべてを失いましたよね」
 鋼音が動きを止める。
「さ、さもびめ? かるのみこ?」
 ちなみに両方とも「古事記」における、兄や妹を愛した悲劇を綴った物語の登場人物である。
「とにかく、そういうことじゃありませんから。この前烏丸さんがうちに来た時、父から聞いた話なんですけど」
 真琴は烏丸香奈が上京していた時に父親から聞いた話を鋼音に語った。自分と鷲塚智巳とが産まれた時に、烏丸家の当時の大老が、突如鴉取家にやって来たこと。大老が二人の命名をしたこと。そして大老の言い残した「二人の名に『鍵』を託した」という、謎の言葉。
「後で烏丸さんに確認をとって見たんですけど、確かに烏丸さんのひいお祖父さんにあたる方が、何週間か行方をくらまして大騒ぎになったことあるそうなんです。ひょっとすると、烏丸さんのひいお祖父さんは、今の事態を予見して鴉取の家に来たんじゃないかって」
「ふーん。なるほど、鍵か、鍵ねぇ」
 鋼音は腕組みをして、口の中で何事か呟く。そして一世一代のひらめきを手に入れたかのように目を見開いて、顔を上げる。
「オーケー、我が天才的頭脳が結論を導き出したわ。それこそ『御大』とかいう奴が探してる『大厄』の封印を解くための鍵になってんのよ。奴らに先んじてその鍵を上手く使えば、先手が取れるかもしれない!」
「皆さん分かってますわ、それくらい」
 鋼音はトウカの突っ込みを完璧に無視した。
「よし、解こうぜ、早速。うーん『真琴』と『智巳』かぁ。暗号にしちゃああまりに文字数少なすぎるし。まこと、ともみ、まことともみ」
 鋼音は再び考え込むと、いきなりその表情を険しくする。
「そーいや、やなこと思い出した。あんたら二人、剣研に誘おうとした時に、名前であんたが兄上の方だと思ってラブレター作戦やったんだっけ。よくもまあそのお爺ちゃん、そんな紛らわしい名前をつけたものよねぇ。どういうネーミングセンスしてんのよ、まったく」
 真琴がはっとする。
「まあ、言われて見れば」
 間髪入れずに、鋼音が手を打った。
「そうか、わかったわ。これは、つまり!」
 真琴もトウカも、鋼音に注目する。
「しりとりよ」
 二人が凍りつく。
「ほら、『まこと』『ともみ』。『と』で繋がってるじゃん。つまりこれはしり取りで更に重要な言葉に繋がって行くと! つまり次は『み』で始まる言葉が重要な鍵を握っているのよ! 『み』で始まる言葉は、例えばえーと、『蜜柑』、『神輿』、『ミスタージャイアンツ長島茂雄』それから」
 トウカが言葉探しを始める鋼音に言う。
「さっきの話とどういう繋がりがあるんですの?」

師走(4)

 鋼音たちが図書室で喧々囂々やっていたのと同じ頃。
 汝鳥学園校庭南東の汝鳥樹海。鬱蒼と茂る木々の中で、男二人が木刀を構えて睨み合っている。一人は肩で息をし、もう一人は顔を除く全身に打ち身をこさえている。
 肩で息をしている方、冬真吹雪はなおも不敵に笑い、木刀を片手にだらりとぶら下げる。
「頑丈さはかってやるけどな。切った張ったの世界じゃそんなもん、毛ほどの役にも立たねぇぞ。この稽古の間に、お前何回死んでると思ってんだ?」
 打ち身だらけの方、鷲塚智巳は、木刀を正眼に構えたまま、視線を泳がせる。
「ええっと」
 不意に、吹雪が間合いを詰める。智巳は半ば無意識的に、足を斬るように突き出された木刀を薙ぐ。彼は吹雪の動きが一瞬止まったと見るや、打ち下ろした木刀をはじき返すように、二の太刀を下から上へと払う。
「一五回くらいかな!」
 吹雪は体を捻ってそれを躱す。頭髪に剣の風圧が掠め、微かな音を立てる。
「違う! 正確には一八回! でもって、こいつが」
 吹雪が智巳に一九回目の死を与えるべく、がら空きになった胴に打ち込もうとした瞬間。智巳がもつ木刀の剣先が、陽炎のように揺らいだ。瞬間的に危険を察知し、攻防のスイッチを切り替える。
 より勢いを増した剣圧が、吹雪の眼前を真一文字に切り裂いた。刹那、吹雪の中で何かが切れる。智巳の打ち出す四の太刀に、猛然と割り込む。
 智巳の体が、電光石火の突きを受けて、文字どおり後ろに吹き飛んだ。手近に立っていた朽ち木に激突する。
(糞っ垂れ。思わず本気出しちまったじゃねぇか)
 吹雪はその台詞を喉の奥に飲み込んだ。
「一九回目だ」
 智巳は朽ち木に寄りかかって、木刀を杖に身を起こそうとしている。吹雪はそれを睨み、呼吸を整えながら太刀を下げる。
「正直さを武器にするのは結構だがなぁ、お坊ちゃま。てめぇ自分の得物が備前長船だってこと、わかってっか? んな力任せの剣の振り方が許されんのは、厚重ねの太刀を使う龍波先輩くらいだ。虎の子の長船を叩き折られたらたまんねーんだよ、こっちは」
 智巳は無言で立ち上がると、太刀を構える。
「もう一本」
 吹雪は智巳にペットボトルを投げた。
「勘弁しろ。少しは」
 鈍い打撃音。吹雪の動きが止まる。
 智巳の腕の中に収まることを拒絶された哀れなペットボトルは、剣を振り上げた彼の背後に落ちて、軽く草むらの上で弾む。
 そこで智巳が、我に返ったように後ろを向く。
「あ」
「『あ』じゃねーよ、馬鹿!」
 吹雪が肩を落とし、深い、本当に深いため息を吐く。
「俺は朝霞先輩ほどじゃねーが、てめーのスタミナに長々と合わせられるほど頑丈じゃねぇんだ。それにお前の『出稽古』に何時迄も付き合ってたら、俺の習練の暇がなくなっちまうだろうに」
 智巳は吹雪の言葉を聞いて、ようやく木刀を下ろす。彼は草むらの方へ体を引きずって行って、ペットボトルを拾い上げる。
「では、また明日。ありがとうございました」
「明日ってなぁ。おいおい」
 吹雪はその場にどっかと胡座をかくと、木刀を製図ケースに収める智巳を見る。
「お前な、ちったぁ休め。今はアドレナリンがまわってるから大丈夫でも、ダメージは確実に蓄積してる。適切に休むのも鍛練のうちだと思え」
 智巳が、荷物を抱えて吹雪の脇を通り過ぎる。その折、彼は無表情のまま、座り込んだ吹雪を見る。
「ねぎらいの言葉をかけてもらえるとは思わなかった」
「勘違いするんじゃねぇよ。稲荷がくる前に壊れてもらいたくないだけだ」
 智巳は微かに会釈をして、その場を歩き去った。吹雪は無言でそれを見送る。
(抜き身の刀みたいに尖りやがって。一皮剥けたかと思ってたんだが、違うのか?)

師走(5)

 吹雪たちが居た場所から少し離れた所に、コノハナノサクヤヒメノミコトを祀る、浅間神社がある。
 二人の少女が、その神社の前に現れる。先行する八神麗が、後続する高槻春菜に尋ねる。
「それで、教えてくれる? いったいどう言う風の吹き回しで、此花の祭祀を教えてほしいなんて言い出したのかしら?」
「自己流の演舞を奉納するだけでは、礼を失してないかと思いましたので」
 麗が、くすり、と笑う。
「巫女になるつもり? ある意味、似合ってるけど」
「ある意味?」
 春菜は少々含みのある麗の言葉を、意識の隅へ追いやった。
「正当な意味での『祀る者』、巫女になるという選択肢もありじゃないかと思います。何時迄も、八神先輩にこの神社の祭祀をやってもらう訳にもいかないでしょうし」
「まあ、ね」
 麗は苦笑した。彼女の実家は和歌山にある。東京での就学を終えれば、そちらで神職を継ぐ予定だ。だから地元の人間である春菜のように、汝鳥にとどまり続ける訳には行かない。もしも春菜のこの申し出が、麗に対する気配りから出ているものであるとするとするなら、それは彼女にとって心苦しいものであった。
 もちろん麗は、理由はそれだけではなく、むしろそれよりもずっと大事なことがあるのも承知しているつもりだ。
「それに、それは恐らく、封印の力を強めることにもつながると思いますし」
「それがキミの選んだ、『大厄』との戦いというわけね」
 ええ、と、春菜は頷いた。
「本当にそれを志すとなると大変だけど。決意は固いのね?」
「例え『大厄』の脅威がなくなったとしても、この地が妖怪を引き寄せ続ける場所であることには変わりありません。だとすれば、この汝鳥の守る力を高めることは、当然じゃないでしょうか」
 麗は無言で、春菜を見る。巫女になる、ということは、日々神に礼讚し、貞節のある生活を自らに義務づけると言うことである。目の前の少女はそんなことくらい承知しているはずだ。
 しかし春菜の目に、迷いはない。だから麗は、早々に説得を諦めた。
「いいでしょう、簡単な作法から教えて上げる。でも、気をつけなさい。巫女の素養とはその子の品行も問うものだから」
「どう言う意味です?」
「学校がこの活動をも、妖怪バスターの活動と捉えるかもしれないということよ。停学、退学となると、少し困ったことになるかもしれないわ。私たちの世界は、学歴を厳しく見るところがあるから」
 春菜の表情は麗のその言葉によっても、変化することはなかった。
「私という個人が、八神先輩という一人の神職者に礼法を教わるだけです。剣術研究会に関わらないことであれば、学校からとやかく言われる筋合いもありません」

師走(6)

 智巳は全身にできた打ち身傷を制服の下に隠して、樹海を出る。歩くたびに全身が悲鳴を上げる。吹雪は器用にも顔面以外を打ち据えてくれた。そのお陰で見た目は負傷しているように見えないのは、彼に感謝するべきか、どうか。
 智巳は人目を忍んで、保健室に向かう。ただ、表から出入りすると、どうしても他の生徒や教師の目についてしまうので、裏側の窓からこっそり中に入れてもらうことにする。現在の保健室は、みなと そらが取り仕切っている。剣術研究会顧問、ネイ・リファールに「使われてあげてる」と吹聴するその人兎は、現在智巳たちが置かれている状況について理解がある、数少ない学校関係者の一人である。
 校舎の間にできた路地を通り、裏手に出る。先客が二人。両方とも、見覚えのある顔だった。幸か、不幸か。
「よう、坊ちゃん」
 龍波輝充郎は、血のついたタオルを頭に被ったまま、自由な左腕をゆるゆると上げる。では右腕はというと、それは柚木塔子の小柄な体によって辛うじて支えられている。
 智巳はその二人を無表情で眺めながら、手を上げる。
「どうも。すごい怪我ですが、何かあったんですか」
「んん? ああ、大したこっちゃねえ。ただの、特訓だ」
 塔子が呆れたように口を開く。
「ただの、ねえ。音無山防空壕を半壊させるような特訓を、『ただの特訓』とは言わないだろう。一つ間違えれば、私も君も生き埋めだったんだぞ」
「そう言うな。無事だったんだから良かったじゃねぇか」
 保健室の窓から、みなと そら が顔を出す。
「何をごちゃごちゃと外で話してるの。さっさと入りなさい」
 塔子と智巳は、手分けして輝充郎を保健室の中に運び込む。そら はその光景をしばし眺める。
「それじゃ、服を脱いで。でかい方、じゃなくて、男二人か」

師走(7)

 塔子は上半身裸になった智巳の身体を見て、血相を変えた。
「一体何をやったら、ここまで酷い事になるんだ!?」
「ただの出稽古ですよ。まだ、一本も取れたためしがないんです」
 塔子は智巳の体中にできた痣を眺め、顔を歪める。
「それ以前の問題だ。これは明らかに、やり過ぎだぞ」
 そら が輝充郎の体に包帯を巻いている。
「二人とももう少し、自分の体を大事にしなさい。ここまで酷いと、労災がおりないから」
「結局あんたはそこかよ」
 そら は輝充郎の背中をぴしゃりとはたいた。輝充郎が悶絶する。
「こんな調子で特訓を続けてたら、死ぬかもよ? 次はそっち見るから」
 そら は智巳の体を拭いた。塔子が、智巳の痛みに顔をしかめる様子を眺める。
「少し頭を冷やした方がいい。君一人が頑張ったところで、事態が改善する訳じゃないのだからね」
「わかっている、つもりですけれどね」
「むしろここまでのオーバーワークは我々にとっても害悪となる。バランスを考えるんだ」
 智巳は そら に包帯を巻かれながら、無表情で塔子の顔を見上げる。
「龍波先輩なら、いいんですか」
 塔子が凍りつく。そこに、輝充郎の声が割り込んだ。
「待て、鷲塚。柚木には俺が無理言って付き合ってもらったんだ。あんまそいつを責めるな」
 塔子が驚いたように、輝充郎の方を振り返る。対する智巳は、包帯の固定された体を少し動かして、立ち上がる。
「すみませんでした。変なこと言って」
 そら が、窓枠を乗り越えようとしている智巳に声をかける。
「こいつらじゃないけど、しばらくは安静にしてて。ただの打ち身とかいってなめてかかってると、うっ血が酷くなって、本当に動けなくなるから」
「努力はします」
 智巳が立ち去って、数分。塔子が先に口を開く。
「おい、龍波」
「分かってるって。嘘を言ったのは謝る。だが、ああでも言わんと奴は収まりがつかねぇだろうに」
 塔子が無言でうつむく。実は塔子が先に、輝充郎の特訓に同伴したいと申し出たのである。
「やっぱり最近のお前、何かおかしいぜ。そりゃあ俺もつまらん壁にぶち当たって阿呆なことに手を出しちゃあいるが、支えが必要な悩みを抱えてるのは奴の方じゃねぇのか? ありゃあ、ほっとくとどんどん無茶するようになるぜ」
「そうかも、しれん。だがな」
 塔子は俯いたまま、額を手で抑える。
「正直、今の鷲塚にはどう接していいか、私にはよくわからないんだ。情けない話だが。如何に強大な妖怪が相手であれ、それに対する術は二手、三手と思い浮かぶというのに。男女の問題となると、その」
 輝充郎はしどろもどろになる塔子を眺めて、疲れたように背筋を曲げる。
「それこそ俺の専門外だっての。難しく考え過ぎなんじゃないのか? ったく、どいつもこいつも悩みは深いな」
 何げなく、保健室の扉に顔を向ける。
「ま、悩みの深さだけなら剣研の一年坊主も相当のもんだが。ある意味、奴の悩みが一番贅沢なんじゃねぇのか?」

師走(8)

 その深い悩みの持ち主はというと、剣術研究会の部室の前で、中から聞こえてきた少女数人の話し声に思わず身構えていた。
 ――大黒様は、あなたに何も教えていらっしゃらないのでしょう?
 ――ええ。
 ――それならば、私から何かを話すべき時ではありません。大黒様も、そうすることが必要であるとお考えなのでしょうから。
 吹雪は一瞬、中に入ることを躊躇った。今部室の中に入れば、どういうことになるかは大体予想がついている。その大半は吹雪自身が自制すれば起こり得ない事象でもある。だから今の適切解は、しばらく馴染みの用務員室で時間を潰すなりして、「彼女」と顔を合わせないことだ。
 しかし、吹雪はそれでもドアノブに手をかけた。彼を動かした力の正体は、自分でもはっきりと分かる憎悪だった。
 部室の扉を開ける。案の定、その音に気が付いて顔を上げたのは、此花咲哉と多賀野瑠璃の二人である。
「うちの部室にまで押しかけてきて、何してやがる」
 吹雪は静かに、しかし怒気を孕んだ声で、瑠璃にゆっくりと詰め寄った。対する瑠璃は、怖じけづく様子もなくまっすぐに吹雪を見上げる。
「木花之佐久夜毘売命にお尋ねしたいことがあって来たの。浅間神社にも行ったんだけど、今はこちらにましますでしょうと、八神先輩から聞いて来たから」
「はっ。神と、神に選ばれた者とで仲良くお話ってか。大方『大厄』の封じ方も見えてるんだろうなぁ?」
 憎悪と皮肉をふんだんに盛り込んだ言葉を投げる。しかしこれに対して当の瑠璃が動じる様子はない。
「いいえ。私がお尋ねしたのは『大厄』をどうにかした後の、もっと先の話」
 吹雪は瑠璃たちを大きく回り込むと、部屋の隅にあったパイプ椅子にどっかと腰を下ろす。
「それはそれは。大黒天様は先見の明のおありと見える。じゃあ俺たち卑しい人間どもは、下座で黙って巫女様の行われることを眺めてるだけでも良さそうだな? ええ?」
 吹雪の罵詈雑言は、咲哉の前であってもなお止まることを知らなかった。公言して憚らぬほどに、瑠璃を憎悪していた。それは智巳などと同じ、血筋ゆえに手に入れた力を持っているという、それだけのことではない。七月恋花は自らが責任を持って鎮めると言い、他の全てを守るという。その姿は、吹雪の目には悲劇のヒロインを気取っているようにしか見えなかった。
 しかし、それ以上に彼を苛立たせていることが、もう一つ。
「そうしてほしいと言うなら、そうするけれども。冬真君はそれで本当に満足できるの?」
「っ!」
 今の瑠璃は、吹雪が自らの憎悪ゆえに自己嫌悪に陥っていることを、完全に看過していた。
 吹雪が思わず、パイプ椅子から立ち上がる。そこで咲哉が口を開いた。
「すみません、戎の巫女は、私に御用があってこちらにいらしているのですから。手荒な真似は止めていただきたいのですが」
 吹雪は動きを止めると、再び腰を下ろす。
「分かってますよ。神の御前で暴力沙汰に及ぶほど、不躾になるつもりはない」
 代わりに瑠璃が席を立つ。
「では、お尋ねしたいことは全てお尋ねしましたので、もう行きますね? ここに私がいると、ご迷惑にもなりそうですし」
「おー。できれば俺の見えないところで全部片付けておいてもらいたいもんだ」
 瑠璃は吹雪の憎まれ口を意に介さず、咲哉に最敬礼すると部室を後にする。吹雪はドアの外まで身を乗り出し、その後ろ姿を見送った。塩があったら撒きたい気分だ。
「畜生、どいつもこいつも力を手に入れた途端に突っ張りやがって」
「おまえが言うな、おまえが」
 刹那、横合いから固いものが吹雪の横っ面を張り飛ばした。
「おおっと、悪い。まだ距離感がつかめなくてね」
 蓮葉朱陽が、うずくまった吹雪を見下ろす。彼は頬を摩りながら朱陽を見上げ返す。
「あにすんですか。明日のジャニーズJr.と呼ばれるこの美少年の顔を、って、ん?」
 吹雪が朱陽を見上げたまま、固まった。彼の視線は、朱陽の肩に担がれて、たった今自分を張り倒した物体に注がれていた。
 それはどこかから刈り取って来たらしい大枝だった。長さは二メートル強。かなり根元から折り取ったような無骨さと、長い時を重ねた年輪とが見える。樹皮は奇麗に剥がされていたが、歳を経たものであるのに反し、その表面は雪のように、白い。そしてその無骨な枝は、ただの枝とは思えぬほどの確かな力を、その周囲に放っていた。
「どっから手に入れたんですか、それ」
「汝鳥神社にあったものを、鬼っ子があたしに譲ってくれたんだ。これであたしもパワーアップという訳さ」
「うわ。またかよ」
 吹雪が目を見開いている。朱陽がそれを見て、目を細める。
「あげないよ」
「わ、わかってますって」
 朱陽は部室の中に大枝を運び込んだ。咲哉が目を見張る。
「大層なものを手に入れましたね」
「やはり豊饒の神であるあんたには、わかるか。こいつは汝鳥神社に千年植わってるっていう神木の枝でね。こいつを削れば神にも打ち負けない刀になると鬼っ子が言うのさ」
「鬼、南東の柱、ですか」
 咲哉はその大枝をしげしげと眺める。
「よい状態で、保存されていたのですね。確かな力を感じます。あれの言う通り、振るえば武器にもなるでしょう。振るうことができれば、の話ですが」
「問題はそこさ。この枝はあたしが振り回すには、少々ごつすぎる代物でね。だけど、削ろうにもノミが刃毀れするほど頑丈と来た。サクヤ様なら、どうにかできるかもしれないと思って、さ」
 咲哉は困ったように首を振った。
「残念ですが、私の術ではどうにもなりません。この枯れ枝に再び命のともしびを灯すことなら、できなくもないのですが」
「じゃあ、サクヤ様は『白河塗り』ってのに心当たりはないかい?」
 傍らで聞いていた吹雪が、怪訝な顔をする。
「白河塗り? なんすか、そりゃ」
「この枝を加工する時に使われた手法らしいんだが」
「あれの、南東の柱の時代に見いだされた方法なら、私にも心当たりはありませんね」
 朱陽が残念そうに大枝を見下ろす。
「サクヤ様でもわかんないか。それじゃあ、後は」
 朱陽は周囲を見回して、ふと、吹雪が自分を見ているのに気が付いた。異様なほどに目を輝かせて、何かに期待するかのごとき風情である。
 朱陽は吹雪を、無言で三秒ほど眺める。
「播磨の爺さんにでも見てもらおう」
「えぇー」
「何さ。爺さんは歳行ってる分何か知ってるかもしれないだろ? それに武器にも通じてるし」
 吹雪がにやけた笑みを浮かべる。
「いやー、うちの知り合いにも武器職人は何人かいますしー。先輩さえよければあたってみてもいいかなぁ、と」
 朱陽は、一つ息を吐いた。
「何度も言うが、譲らないよ? あたしもあんたの言うところの、弱くて卑しい人間でねぇ。折角手に入れたマジックアイテム、太っ腹にもくれてやる訳にはいかんのさ。あたしだけじゃあない。鋼音やロックウェル先輩だって縋れるもんには縋るだろう。わかるだろ?
 だから譲るつもりにはなれん。あんたにゃサクヤ様からもらった鏡があるんだろ。あれで我慢しなよ」
 吹雪が失笑する。
「随分簡単に言ってくれる。こっちのブツはかなりリスキーな代物なんですがね」
 咲哉が吹雪を見る。
「まだ、預けた鏡はお使いになっていないのですね?」
「お使いになっていないどころか。まだこういう状態でして」
 吹雪はブレザーの内ポケットを漁った。布に包まれた円盤状の物体が、吹雪の手のひらの上に現れる。
「てめーの真実の姿とやらを拝むには、ちょいと度胸が足りなすぎ。まあ、稲荷の真の姿を映せるってんなら何時かはみなきゃならんでしょうが。そうだ、蓮葉先輩、その枝と交換しません?」
「断る」
 不意に、部室の外が騒がしくなった。扉が荒々しく開け放たれ、数人の群れが慌ただしく入って来る。
「おらぁ、全員集まってるか! 事件だ、事件!」
 ネイ・リファールが声高に叫ぶ。その両脇に鋼音とトウカを抱えたままで。右脇に担がれた鋼音がもがいている。
「ちょっと、暴力教師! いい加減離しなさいよ!」
 ネイは本当に鋼音たちをその場に放り出すと、今一度部室の外に出る。
「さあ、鴉取もとっとと入らんか!」
「ちょ、ちょっと、そんなに引っ張らないでも」
 ネイは真琴の言葉を無視して、そのまま彼女を部屋の中へと引きずり込んだ。更にその後に続いていた晴海も同様に。
「久しぶりの仕事だ。準備を始めるぞ」
 朱陽が呆れた声を出す。
「仕事って。妖怪バスターの活動は禁止されてるんじゃないんです、か?」
 次の瞬間、ネイはあまりにも機敏な動作で朱陽の脇に滑り込んでいた。その肩を抱いて、ばんばん叩く。
「細かいことは気にするな! 妖怪がでないから活動停止なんであって、妖怪が出れば立派に妾どもの活動も成り立つというものであろうが!」
「ちょっと、痛いです」
 吹雪が呆気に取られて、その光景を眺める。
「センセ、ちょっと酒入ってません?」
「なにを、妾は素面だぞ。間違いなくな」
 ネイは吹雪の肩を掴みかけて、不意に何かに気が付いたようにその脇を素通りした。先程吹雪が座っていたパイプ椅子を部屋の中央まで引っ張り出して、腰掛ける。
「とにかく、妖怪が現れたのだ。現れた以上は妾どもの出番であろう」
 真琴はネイに掴まれた肩を押さえながら、尋ねる。
「一体、何が現れたんですか?」
 ネイが、よくぞ聞いてくれたとばかりに、堂々と胸を張る。
「現れたのは、高原那須子の亡霊だ」

師走(9)

 夜の図書準備室。
 ウォレスは久しぶりに妖怪バスターの案件トレイに乗った調査票を、死んだ魚のような目で眺めていた。
 高原那須子。つい先日まで一線で活躍していたアイドル歌手にして、ウォレスの大事な生徒の一人。しかしその実態は得体の知れない洗脳音波を操り、学園祭の場で生徒たちに、汝鳥市民に、そしてウォレスに、妖怪バスターのおぞましきマイナスイメージを植え付けて行った張本人。
 その高原那須子らしき人物が、汝鳥学園の周囲などに現れるという。
 目撃例は昼夜を問わない。不意に目の前に、視界の隅に、那須子の姿が、つんと立ったトレードマークの一本お下げが見えるのだという。目撃者がそれに気が付いて、探そうとしてももう既に姿は見当たらない。あるいは現れた時と同様、霞のように消えてしまう。そしてそれは真夜中の、照明が届かない場所であろうとお構いなしに、はっきりと見えるのだという。
 あのコンサートで那須子が地蜘蛛衆に連れ去られて以来、その消息はようとして知れない。その時の様子は、まるで血色のない死人のようだったというから、死んでいてもあながちおかしくはない。
 しかしウォレスの表情は、久しぶりの案件を目の前にしても冴えないままだった。
「こんなアーバンレジェンドに毛が生えたみたいな案件に一喜一憂するなんてねェ。これじゃそんじょそこらのプライマリィのオカルトクラブとかわりゃしマセンな。まいりマシタねェ、あーあ」
 ウォレスは調査票を再びトレイに放り込んで、机にだらしなく顎をつく。
「アタシゃ何のために、こんな極東の島国くんだりまで出張ってきたんデショウね? アナタにあんなもん見せられた性で、本気で訳わかんなくなりマシタよ。こんなただの町になっちまった汝鳥に教職で縛り付けられて、何やってろってんデスか。ねェ、高原さン」
 脳裏にふと、声が響く。
 ――さっさと割り切っちゃえばいいんじゃない? 例え貴方の目的を達成できたとしても、それは単なる貴方の自己満足でしかないんだし。
「ああ、そうかもしれマセン、ね!?」
 ウォレスは慌てて身を起こした。幻聴ではない。それで片付けるにはあまりにはっきり聞こえ過ぎたし、聞き捨てならな過ぎる。
 ウォレスは薄暗い部屋を見回した。光源はデスクに添え付けられた電気スタンドただ一つ。しかしそんな視界の中に、あまりにも違和感のある物が一つ、現れていた。
 それは一言で表現するなら、映像であった。宵闇の中に薄ぼんやりと、一人の人物が浮いている。時折横に数本のノイズが入るが、それはSF映画の立体映像のように、鮮明な姿を象っていた。唯一尋常でないのは、それを映し出しているはずの映写機の類いが、部屋のどこを探しても見つからないことである。
 高原那須子の姿をしたそれは、呆然とするウォレスの前でにこやかに、笑った。
(はぁい。お久しぶり)

師走(10)

 葵寮の裏手に、数人の人影が人目を忍んで現れる。それは方々から次々に顔を出すと、集まって十数人ほどの集団を成した。
 マリア・ロックウェルが威勢よく叫ぶ。
「いよっし、潜入成功!」
 周囲の人間が慌ててマリアを取り囲み、一斉に指を口に当てる。
『しーっ!』
 マリアが声のボリュームを下げる。
「おおっと、いけねぇ。久しぶりの活動なもんで思わず興奮しちまった。いい加減トレーニングばっかじゃ実戦カンがなまっちまう。で、ネイたん先生。本当にここに高原の亡霊が出るのか?」
 ネイは振り向いたマリアの顔をがっしと片手で掴む。
「貴様、妾の情報に間違いがあるとでも言うのか!?」
「いでで、痛いよ! 間違いはなくても疑わしいから聞いてんだ!」
 ネイはマリアを文字通りに投げ捨てる。
「何人もの寮生が、この周囲で高原の亡霊を見たと言うのだ! 良いか、見つけ次第証拠写真をカメラに収めて野良妖怪の存在をアピールするのだ。煮るなり焼くなりするのはその後でもかまわん」
「あの、先生」
 瑠璃が手を上げる。
「高原さんの幽霊が本物だったとして、それを消してしまうんですか?」
「なんだぁ、瑠璃介。昔の仲間だと言って情けをかけるか? 神道での不死者は穢れも穢れ、問答無用で追っ払うもんだろうが」
「それは、そうなんですが」
 瑠璃は淡々と言葉を紡ぐ。
「別に害のない存在なら、何も消すまでのことはする必要ないかなと、思ったんです」
「なぁーに甘っちょろいこと言ってんのよ!」
 鋼音が鼻息も荒く、まくしたてる。
「あの映像をみたでしょ!? あれのお陰であたし達、ろくに集合することすら出来なくなっちゃったんだから。化けて出るならこちらから逆にぎったんぎったんに」
 ――あれを見せたことが「悪」だと言うの? だとしたら、とんだ思い上がりね。
「!?」
 その場に集まった剣術研究会と、オカルト・ミステリー倶楽部の妖怪バスターたちが一斉に顔を上げる。
 不意に、彼らの中央に、光が灯る。集中する視線の先に、光の粒子のような物が集まり、形を成す。
 身の丈程もある、巨大な茄子。
「は?」
 しかしそれは一瞬の後にノイズのような物に包まれ、次第に人の形へと変化していく。再び鮮明になったそれは、一瞬戸惑うような視線を自らの姿に落としたが、すぐに妖怪バスターたちを見回して、笑いかける。頭の中に、直接声が響き渡る。
(は、ははは。どうも)
 何人かの学生は、それを見て色めき立った。
「先手必勝ぉー!」
 鋼音が刀を手に、那須子に挑みかかる。彼女は避けもせずに、それを受け止める。刀は空気を切ったように那須子の体を擦り抜けて行く。
(無駄よ)
「ちっ、手ごたえもありゃしない。しょーがない、実体のないのの相手は術者に任せるわ」
 数人の妖怪バスターたちが、鋼音の言葉に答えるように前に出る。そしてしばし那須子の姿を眺め、動きを止める。
 マリアが沈黙したバスターたちに尋ねる。
「なんだい、ぼーっと突っ立っちまって。どうした?」
 麗が首を傾げながら、答える。
「それがですね。高原さんは幽霊じゃないみたいなんですよ」
「は?」
 瑠璃が麗の言葉に呼応する。
「霊魂には不浄の者として、私たちには感じ取ることのできる一定の波長のようなものがあるんです。今の高原さんには、それがない」
 塔子が手に構えたチェスの駒、自らの呪具を下げながら、前に出る。
「そも科学的には、霊魂とはエクトプラズム、エーテル、あるいは電磁波の集合体だ。霊能者とはそれらを感じ取る感覚が研ぎ澄まされている者たちだ。目の前にある者が霊魂かそうでないかくらいは、私にも分かる。
 だが、彼女とは意志の疎通も可能なようだ。だとしたらお前は何者だ、高原那須子? 幻覚か? 手の込んだ立体映像か?」
 那須子のようなものは、塔子を見て口の橋を吊り上げ笑う。
(那須子は、那須子よ。映像と音声を地球人の脳の視覚野聴覚野に直接アクセス信号を送り込んでいる。これが本来の、那須子たちのコミュニケーション)
 鋼音が剣の切っ先を那須子に向ける。
「訳のわかんないこと言ってんじゃないわよ。あんた本当にあの高原なの? 何時ものナスナス弁はどうした」
(あれは地球人の発声器官に擬態するために、那須子たちのアクセス信号を音声情報にエンコードした際生じた冗長符号に過ぎない。今はアクセス信号をあなたたち地球人の脳へダイレクトに送信しているから、こうなるというわけ)
「????」
 鋼音が台詞にのみならず全身にクエスチョンマークを纏わせる。那須子はそれを見て、くすり、と笑った。
(まあ細かいことは抜きで、幽霊ってことにしておけばいいんじゃない。その方が貴方たちにとっては都合がいいでしょ)
 塔子は再び口を閉ざしたまま、那須子の様子を観察した。目の前に浮かぶ少女の映像は、小悪魔のように人を食ってかかったた笑みを浮かべている。しかしその様子に悪意は不思議と感じなかった。那須子の能力を考えれば、それもまた彼女の術の一つなのかもしれない。しかし自らの術中にはめることが彼女の目的であるならば、もっと賢しくやる筈だ。彼女は未だ地蜘蛛衆の保護下にあることは、間違いないのだから。
 塔子が口を開きかけたところで、再び那須子の声が脳裏に響いた。
(ああっと、皆まで言わなくても分かりますよ、頭のいい柚木先輩。なぜ貴方たちの前に那須子が現れたのか、聞きたいのでしょう?)
 目の前の那須子の映像から、笑みが消える。
(那須子は忠告しにきたの。いいかげん自分たちの愚かさに気付きなさい)
「忠告?」
 不意に、那須子が動く。何の予備動作もなく空中を滑るように動き、塔子のすぐ脇を擦り抜ける。彼女はしばらく進んだところで舞うように振り向いて、妖怪バスターの全員をその視界の中に収める。
(那須子がコンサートの時人間たちに見せたのは、捏造でも誇張でもない。圧倒的大多数の事実をイメージとして放出しただけ。全て魑魅魍魎たちの記憶から那須子が知った、地球人の愚かしき歴史よ)
「それを彼らに見せつけて、何とする?」
(彼ら、じゃないでしょう。その事実を認識するべきは、何よりも貴方たち。まさか自分たちは違うとでも言うんじゃないでしょうね?)
 塔子は、妖怪バスターたちは、無言で那須子の話を聞いている。
(そもそも妖怪たちは、人間の悪意と奢りに満ちた心が生み出した存在。それを倒すという所業は己の子を殺すにも等しい行為。それに巻き込まれた魑魅魍魎たちの憎悪はいかほどかも知れないわ。
 人間はそんな彼らのあるべき場所を奪い汚していった、欺瞞に満ちた存在。封印だの祠だのは、彼らがもともと求めていたものじゃないでしょう。そんな彼らを倒すことが、貴方たちは正しいことだと言うの?)
 妖怪バスターたちが、呆気に取られる。そんな中、真っ先に動いたのは、春菜である。彼女は憤るでも嘲るでもなく、否、最早眉一つすら動かさず、その映像から顔を背ける。
「馬鹿馬鹿しい」
(何? 那須子の話をまだ疑ってるのかしら?)
「そういう意味じゃない。そんな当然のこと、今更指摘されるまでもない、ということよ」
 今度は那須子が動きを止める番であった。春菜はそんな那須子に振り返って、さらに言葉を投げた。
「あるべき場所、と言ったわね。妖怪たちが人の心より生み出された物であるならば、それの還るべき場所もたった一つしかないでしょう。私はそれを実行するだけのこと」
(それが人間の思い上がりであったとしても?)
「何をもって思い上がりだと決めつけられるの? それはあなた達妖怪から見た主観。何が正義かなんて、私たちが決めることではないけれど、あなた達が決めることでもないわ」
 春菜はそう言い残すと、一人歩き始める。ネイがそれを呼び止める。
「おいこら高槻。こいつは放っておくのか?」
「それはただの幻覚と幻聴のようなものです。本体を消さない限り、消えることはないでしょう。早く地蜘蛛衆を見つけだして駆逐する以外に、方法はありませんね」
 春菜は葵寮の外へと続く茂みに姿を消した。那須子は無言でそれを見送ると、他の妖怪バスターたちに向き直った。
(で、他の人は、どうなの?)
 吹雪が酷薄な笑みを浮かべる。
「おまえの言う通り、俺を含めて醜く欺瞞に満ちてるのが人間って生き物でね。偽善だろうが何だろうが、その尻拭いをしてるのが俺たちじゃねぇの? そう考える俺にとって、おまえのご高説はひどく退屈でつまらない」
 吹雪も外に向けて歩き始める。続いて、瑠璃が那須子の前に出る。
「あのね高原さん。私はちょっと春菜ちゃんとは考えてることが違う。確かに過去の妖怪バスターたちが罪のない妖怪たちまで狩ってきたことは事実だろうし、言い逃れもできないことだと思う。でも、何時かは人と妖怪は共に在れると、私は信じてるから。例え過去に過ちがあったとしても、人は成長して行くものなのだから」
(定命の人間の成長など、たかが知れているでしょう。そんな人間の価値観を、人間よりもはるかに長い時を生きる妖怪たちにまで当てはめようというの?)
 続いて、真琴が言う。
「確かにその通りだけれどね。
 西洋の魔女狩り。日本の伴天連弾圧。人間同士だけでも『自らと異なるもの』を排斥した事例は枚挙に暇がないわ。でも、人は過去の過ちに学ぶ、そういう生き物だから。妖怪が、長年の経験から学ぶように。
 いますぐその進化の方法を理解してとは言わないけれど。それが理解できないから人に害を与えるのでは、人も妖怪もあまり変わりがないと思うけどなぁ。溝は深いけれども、そのつまらない悪循環は何時かは断ち切らなければならないんじゃない? 妖怪バスターの活動も、その一環じゃないかと私は思う」
 瑠璃と真琴が歩きだす。それにつられて、残っていた妖怪バスターたちも、葵寮の外に向けて歩き始める。鋼音やマリアも親指で首をかっ切る仕草を那須子に見せて、その後を追う。
 那須子はバスターたちの後ろ姿を見送ると、ふと、一人だけその場に立ち尽くしていた者に気が付いた。彼女は組しやすしと思ったのか、智巳に近づいていった。
(で、貴方はどうなの? ラインバーグ先生みたいに、妖怪バスターのあり方に疑問を感じないの?)
「正直、何の役にも立ってないんだよね」
(は?)
 智巳もまた、踵を返す。
「だからあんなこと聞かされても、とても今は妖怪バスターをやめる気になれない。
 何が正しいのかは、僕にはよくわからないよ。ただ、潔く自分のやってきたことを否定できるほど、僕は賢くはなれない」
 智巳は妖怪バスターたちの後にした方向に向けて、歩き去る。しかしなお、那須子の声は智巳の脳裏に響いた。
(ちょっと。何よ、それ)
 智巳は無視して歩みを進める。
(ろくに妖怪バスターとしての経験もないくせに、何だってどいつもこいつも悟り切ったみたいな意見を吐けるの? あんたたち、自分たちがどれほど普通の人間から浮きまくってるか、わかってんの? ちょっとは現実を見なさいよ、現実を)
「みんなきちんと見えてるよ、多分。そうじゃなかったらもう少し、周りの人たちに自分たちの考え方を強要するだろうしね」
 智巳が茂みに足を潜らせたところで、もう一度那須子の声が響く。
(忠告は無駄なようね。いいでしょう、そこまで言うなら那須子にも考えがあるわ)
「考え?」
 智巳は背後を見る。那須子の映像は、既にその場には見えなかった。

師走(11)

 次の日の放課後、天乃原。
 瑠璃は一人、七月恋花が封じられていたお堂を目指して、薮に足を引っ掻け、潅木に足を引っ掻けしながら歩いていた。彼女はここ数日、オカルト・ミステリー倶楽部の活動が控えめなのもあって、天乃原に通い詰めている。
 瑠璃がスカートに枯れ草が纏わり付くのを少々嫌いながら茂みをかき分けて行くと、彼女が目指していたお堂が視界に飛び込んでくる。古いを通り越していつ崩れ落ちてもおかしくないという有り様だ。彼女はそれに近づいて行くと、その脇に生えている一本の野桜に足を延ばす。そこは生え放題になっていた下草が取り払われ、ちょっとした広場になっていた。それは数日にわたり、彼女なりにその場所を手入れした成果である。
 瑠璃はその猫の額ほどの庭に足を踏み入れると、いまだスカートに纏わり付いている枯れ草を手で軽く払いのける。そして木の根元に視線を運び、そこで凍りついた。
「嘘!?」
 木の根元にあったのは、一つのつぶれた段ボール箱である。鈍器のようなもので叩かれたらしく、無残にひしゃげている。それもまた、不器用な彼女なりの方法でその場に作った「祠」である。祀る相手は、もう決まっている。
 だが、そんな彼女でも潰れた段ボール箱に七月恋花を祀ろうと考えるほど酷い創作感覚の持ち主ではなかった。
「誰かに壊されたんだ。一体、どうして」
「俺たちがやったんだよ」
 瑠璃が聞こえてきた声に振り向くと、数人の男たちが姿を現した。その格好はまちまちだが、一人は汝鳥学園のブレザーを着ている。
 瑠璃は桜を背にしながら、まずいことになった、と思う。男たちの数は三人。いずれもバットや棒切れなどで武装している。力づくでこられたら瑠璃では太刀打ちできない。ましてやこんな荒れ野では助けを呼ぶこともできない。
 男の一人が剣呑な表情で瑠璃に近づいた。
「てめぇ、妖怪バスターの活動は禁止じゃねぇのかよ。何こんな所に祭壇なんか作ってんだ」
「これは妖怪バスターとは関係ないです。あなた方こそこんなことをして、お稲荷様の罰が当たりますよ?」
「うるせぇよ」
 男は手にした竹刀を振り下ろした。瑠璃の顔のすぐ脇に、その竹刀が突き立った。
「神を祀るのに祠を立てるなんざ、お前らが勝手に決めたことだろうが、ああ!?」
 後ろに従っていた男たちも、それに同意する。
「やっぱ夢の通りだった。ここで待ってりゃ妖怪バスターが悪さを仕掛けに来るってな」
「まったく那須子様様っすよ。ここまで来ると偶然じゃないっすねぇ」
 瑠璃は男たちの言葉に眉をひそめた。
(夢の通り? 高原さん?)
 先頭の男が後ろを振り返る。
「さて、こいつどうします、皆さん方? やっぱり定番どおりに痛め付けときましょうか?」
「二、三日飯食えなくなるくらいなら、オッケーじゃねぇ?」
 瑠璃は咄嗟に口の中で真言を唱える。
「オン・マカキャラヤ・ソワカ」
「あん!?」
「彼の方々の心に芽生えた邪念、はらい清めます。はい」
 柏手を一つ。周囲から見ればたったそれだけのことだが、色めき立っていた男たちの顔が、狐に摘まれたように腑抜けたものに変化する。
 瑠璃は足元の潰れた段ボール箱を拾い上げると、恐る恐る、男たちに尋ねる。
「あの、御免なさい。それじゃあ、これは持って帰ります。もうここには来ませんから」
 先頭の男が我に返る。
「あ、ああ。分かればいいんだよ、分かれば」
「それじゃ、失礼します」
 瑠璃は男たちの合間を擦り抜けて、足早にその場を後にした。十分男たちの姿が見えなくなったところで、ため息をつく。
「あ、危なかった」
 瑠璃は一か八か、男たちに簡単な浄術を仕掛けた。妖怪とは人の心の歪みが生み出したものであるとするならば、怒りや憎悪、サディズムといった負の感情もまた、「疳の虫」などに代表される弱い妖怪の一種と考えることができる。瑠璃が清めたのはまさにそれだ。もっともこの程度の術では、より根深い憎悪に基づく負の感情を祓い去ることはできない。例えば、吹雪のような。
 瑠璃は気を取り直して歩きだすと、彼らがどうやって瑠璃の行動を嗅ぎ付けるに至ったのか、考える。
 彼らは夢の通りだの那須子様様だのと、妙なことを口走っていた。口ぶりからして彼らは知り合いですら無い様だった。
 と、なると。考えられることは一つ。
「やっぱり、高原さんかな」

師走(12)

 職員室。智巳は絶望的な面持ちでその天井を見上げていた。彼の前にあるデスクには、製図ケースと、その中から取り出された木刀が置かれている。
 生活指導担当の教師が、智巳に尋ねる。
「お前、この木刀で何するつもりだったんだ?」
 智巳は困り果てた、というよりはむしろ、疲れ果てた、という面持ちで机向こうに視線を延ばす。その先では、ウォレスがこちらの方を見て、アタシゃ聞いてマセン、と言いたげに肩をすくめて首を振っている。
「おい、鷲塚!」
 智巳は居直って、教師に向き直る。
「トレーニングの為に持って来ていました」
「お前な、つくならもう少しましな嘘をつけ。体育系の部活動やっとらんお前がなんでトレーニングで、しかも木刀なんぞ使うんだよ」
「居合抜刀道は精神修養にいいと聞いたものですから」
 教師は額に皺を寄せて、椅子に座って智巳をねめ付ける。
「大体な。百歩譲ってそれを信じてやるとして、学校にまでわざわざ持って来る必要はないだろうが。しかもこんな物の中に隠して、後ろめたい物があったんじゃないのか、あ?」
「それは、当然ですよね」
 智巳が憮然とした表情を作る。
「何でもかんでも妖怪バスターの活動ととられちゃ、こっちはたまりませんし」
「あのな、何にもするなって言ってる訳じゃないんだ。学生なら学生らしく、慎ましい生活をしてりゃそれで済む話だろうが」
「僕は慎ましいつもりですよ」
 教師は智巳の体を軽く拳骨で小突いた。服の下の痣にさわって、智巳が思わず小さなうめき声を上げる。
「これが慎ましい生活やってる体だってのかよ。とにかく、木刀は没収する。精神修養がしたいってんなら別のことをやるんだな」

師走(13)

 ウォレスは遠巻きにそれを横目で見ながら、向かいに座ったマリアに声をかける。
「と、まぁ、ああ言う風に教員生徒の目も厳しい折デスからね。進路については表向きだけでもまともに考えるべきデス」
「あんた、それで本当にいいのかよ?」
 ウォレスは答えない。
「大体、こんな時期になんだって抜き打ちで、持ち物検査なんかやる必要あるんだっての。オイラたち潰すためとしか思えねぇじゃん」
「アタシは本当に何にも聞かされてないんデスよ。一部の先生たちで突発的に決めたことらしいデス。それはさておきマリアさン、別に今日はアナタの愚痴聞くために、ここに呼んだわけじゃないデスよ?」
 マリアがむくれっ面を作る。
「オイラの進路相談なら、してもらうまでも無いよ」
「そういう訳にもいかんデショウが。リファールセンセはそーゆーのズボラそうデスしね。取り敢えず体育大の推薦枠ならどうにか滑り込ませることもできマスよ」
「やだよ、そんなの。スポーツなんてつまんねーから続かないし」
 ウォレスは万年筆の底で自分の頭をかりかりと掻いた。
「あのデスね、マリアさン。この世知辛い世の中で妖怪バスターの専業なんてな、やってけないんデスってば。今の汝鳥はこの有り様デスし」
「いいよ、別ん所でバスターやるから」
「何より、現実的じゃありマセン」
 マリアはウォレスをしげしげと眺める。
「なぁ、ゲー先生。やっぱあんたおかしくね?」
「アタシゃ十分に健康体デスとも」
「そういう問題じゃなくて! 現実的じゃないのどうのと、あんたがほざくのがらしくねぇって言ってんだよ。何があった? まさか、あんたん所にも来たんじゃないだろうな? あのナス女が」
 ウォレスが一瞬、眉を動かした。マリアはそれを見逃さなかった。
「来たのか? まさか、奴の言うこと真に受けてんじゃ」
「やかましいデスよッ!」
 机を叩く音が職員室中に響き渡った。教師たちの視線が一斉にウォレスに向けられる。
 静まり返った職員室で、マリアがぽつりと意見を述べる。
「あんたが一番、やかましい」
 ウォレスは大きく息を吐くと、手にしたファイルを閉じる。
「どうやら、互いに少し冷静になる必要がありマスね。進路指導の話は、また今度にしマショウ」
「オイラは十分冷静だよ?」
「それから」
 ウォレスが再び、マリアを見る。
「リファール先生からはまだ何も聞かされてないと思いマスんで、いっときマスが。剣研とオカミスに合宿禁止命令出マシタ。必要ないだろってことでね。マリアさンも承知しておいてくだサイ」

師走(14)

 ウォレスは少々やつれた表情で、図書準備室に足を踏み入れると、断続的に何かを啜り上げる音が彼を出迎えた。微かに漂う種々のスパイスが入り交じった匂いが、音源の正体を容易に連想させる。
 部室の中央に置かれたテーブルには、電気ポットと空になった袋が数個。それに向かう朝霞大介が、対面していたインスタント焼き蕎麦の容器から顔を上げる。
「随分と遅かったな、ゲー公。何してたんだ」
「ちょいと大事な生徒の人生を左右する話を」
 ウォレスは、はたとそこであることに気が付いた。
「『イライラする』はどーしマシた?」
「なんで四六時中イライラしてなくちゃならねぇんだ? ぎゃーつく騒いだところで、誰も喜びゃしねえよ」
 そう言って、大介は再び容器との対決に戻る。ウォレスはそれを見下ろしながら、今年初夏の「霧の中の巨人」事件を、突然思い出した。
 そう言えば、あの時。「霧の中の巨人」が一般人に対してゲリラ的な襲撃を繰り返して、皆をやきもきさせていた時も、最も落ち着いていたのがこの少年だった。
 単に根がひねくれているのか。それとも暗黙のアンビバレンツなのか。これで毎回しっかりと成果を上げているのだから、やはりこの少年は侮れない。
 そんな大介がいきなり口を開いてウォレスを驚かせたのは、彼がそんな思索の海に溺れていた時のことである。
「ある意味、ナスビのほざいた話も間違いじゃねぇ」
 大介は凍りつくウォレスを前に、最後の数本となった焼き蕎麦を口の中へほうり込む。
「そもそも妖怪ってな人のねじくれた感情から生まれた半端者で、俺達はそれを狩るからもっと半端者だ。だからパンピーから変な目で見られて当然な訳だが」
 大介はそう言いながら、ソースと加薬が入っていた袋を空き容器の中へ投げ込み、そして右手にした割り箸を、中程のあたりに持ち替える。
 乾いた音。
 大介の右手の親指、人差し指、中指だけでへし折られた割り箸が、四つに別れて容器の中に落ちる。
「だからって、顧問の貴様が一番取り乱してんじゃねぇよ。貴様が凹むのは勝手だ。だが一年坊どもは、貴様の一挙手一投足を常に見てんだぞ」
 最後に、容器の蓋を閉めて、立ち上がる。大介が燃えないゴミ箱に容器を捨てに行くまで、沈黙の時間が流れる。
 その均衡の中で、先に口を開いたのはウォレスである。
「随分と簡単に、言いマスね」
「言うだけならタダなんだから、当然だ」
 ウォレスが両掌で、テーブルを激しく打つ。電気ポットが、細かく揺れる。
「アタシゃね、もうすぐ三十路デスよ。thirty years old! この道に入って結構な年数になるし、妖怪が常態的に出てくる日本の都市の話を聞いて飛びついて、教職やってんのも結構な年数になる。それが妖怪も何もいなくなっちまって、おまけにお前のやってることは非常識だ、なんてこき下ろされて、アナタ平常心でいろって言いマスか!? えー、アンタがたはまだ若気の至りで済まされるお年頃デスから、多少は気楽デショうとも! アタシはもーそんなんじゃ済まないんデスよっ!」
 大介は軽く舌打ちして何かを言い返そうとした。図書準備室の外が不意に騒がしくなったのは、その時である。
「すみませーん、風紀委員会です。オカミスの人、いるんでしょー?」
「出てきてくださいよー。ちょっとお伺いしたいんですけどー」
 ウォレスが頭を掻く。
「あー、なんデスか、今度は。部室までガサ入れしようって腹デスかー?」
 厄介なことになる前に、どうにか言いくるめて帰ってもらおう。そう考えたウォレスがドアに向かおうとした時には、いち早く大介が動いていた。
 ドアを開けた先に、何人か生徒の顔が見える。その表情がみるみる内に青ざめて行くのを見るに、ウォレスは今の大介が、相当恐ろしい形相を浮かべているのだなと、直感する。
「今取り込み中だが、なぁー、にぃー、かぁー?」
 それでも先頭に居た生徒が、勇気を振り絞って大介に答える。
「い、いや、あの。よ、よ〜かい、ばすた〜の活動してません、よね?」
「してねぇ。だから、とっとと帰れ」
「そ、それじゃあ、中を、調べさせてもらっても、構いません、よねぇ。や、やましいことなんか、何もないんだし」
 ウォレスの目に、一瞬、大介の体の周囲にゆらぐ蜉蝣のようなものが見えた。
「汝鳥学園、部活動・同好会活動規則、第七条」
「は、はい?」
「部活動、同好会活動の内容は常に顧問が責任をもって管理するものである。よって、部活動を監査する場合は顧問の同意が必要である。
 ゲー公は中に居るが、お前らが来るなんて話は、聞いちゃいねぇ。ろくに校則も読んでねぇ癖に正義面して群れ成して来やがって。お前らみたいな連中が一番イライラするぜ」
 大介が一歩前に進み出ると、学生たちは数歩引き下がった。
「し、失礼しました」
 生徒たちは元来た道をすごすごと引き返して行った。乾いた拍手が、鼻息荒く学生たちを見送る大介の背後から聞こえて来る。
「いやはや、お見事な手際デシた。その手腕を見込んで、ちと留守番を頼みたいのデスが」
「なんだ、今度は何処に行きやがる」
 ウォレスは大介の前に進み出る。
「何、ちと小娘んところを様子見に。あっちにも、先程の生徒たちのような手合いが来てる可能性がありマスからねぇ」
「他人の心配より、自分とこの心配しやがれ。イライラする」
「はっはっは、だから信頼の置ける人に防衛を任せるんじゃないデスか。では、行って来マスよ?」
 ウォレスはその場を後にする。かなりの急ぎ足で。
「ったく。盲目になりやがって、んん?」
 大介は廊下の隅に目をやる。支柱が建って大介の位置からは死角になる場所に、人の気配がする。
「まだ、いやがったか。おう、そこに居るのはバレバレだ。とっとと出てこい、そして今すぐ帰れ!」
 物陰に隠れて居た何かの影が、細かく震える。それは三秒ほどすると、観念したようにそこから怖々と顔を出す。
「ど、どうも、こんにちわ」
 大介はそれを見て、もう一つ舌打ちをした。
「イライラする」
 文化祭の時に会った、あの七月恋花と良く似た少女がそこに立っている。

師走(15)

 大介たちが風紀委員会と衝突していたのと同じ頃、剣術研究会の部室の前では、まさしくウォレスの予想とまったく違わぬ光景が広がっていた。
 違うのは、こちらには風紀委員会の顧問まで顔を出していたということである。剣術研究会の活動はある意味見た目がオカルト・ミステリー倶楽部のそれよりも派手であるので、与しやすしと踏んだのであろう。
 その対応に立ったのが春菜と真琴の二人でなければ。
「大体、妖怪バスターの資料を没収して何になると言うんですか。過去の実績を保管することすら、許されないのですか?」
 顧問は、春菜の反論に思わず青筋を立てていた。
「だから、お前らには不要のものだろうと言っているんだ。学校が活動を禁止している以上、資料が残っていてはそれを用いた不正な活動に繋がる。お前らが妖怪バスターとしての活動をしないというなら、協力するのが筋じゃないのか」
「協力して、資料はどうなるんですか」
「お前らがそれを知る必要はない」
 真琴が反論する。
「それは例えば廃棄処分にすることもある、ということですか? ここにしかない希少な記録だってあるんですよ」
「だから、答える必要はないと言っている。それが校則違反による没収品である以上、お前らは文句を言えん筈だ」
「事後立法的に違反の対象とすること自体がおかしなことじゃないですか。それは学校の意向を大義名分とした横暴ですよね」
 顧問の眉間に深い皺が刻まれる。二人とも学業優秀、品行方正で模範生徒に名前が挙がる。それを相手に素行不良のレッテルを張り付ける訳にもいかないから、少々始末に悪い。
「いいかお前ら、頼むからそこをどいてくれ。でないとお前らを処罰せにゃならん」
 春菜が毅然とそれに答える。
「どきませんし、処罰を恐れることもありません。ただ不当な措置を受けたという記録が残るのみです」
「で、それを誰に訴える。妖怪討伐の記録を不当に没収されたと言って、世間様が納得すると思ってんのか」
「それは」
 春菜の動きが止まる。それを見た顧問が、風紀委員たちに目配せする。彼らは春菜たちの間を擦り抜けて、部室の中に入り込もうとする。
「くっ」
 春菜が停学経験をする意志を即断しかけた瞬間、ネイの声が響いた。
「いい加減にせんか、この無礼者どもがっ!」
 春菜は背後を見て、咄嗟に真琴の頭を押さえ、自分も身を低くした。直後、何か巨大なものが風を切って二人のすぐ真上を通り過ぎて行く。
 激しい激突音が、部室前の通路一帯に響き渡った。
 春菜たちが背後を見る。部室の扉の、通路を挟んだ向かいの壁に、半壊した机がめり込んでいる。壁に当たった衝撃で台は二つに割れ、脚の二本が下手な飴細工のように折れ曲がっている。
 風紀委員会の顧問が顔を上げる。
「り、リファール先生!? あんた人を殺す気ですか!?」
「やかましいわっ!」
 騒ぎを聞き付けた教師が数人、部室の前までやって来る。
「またですか、リファール先生! 何遍騒ぎを起こせば気が済むと」
 反論の代わりに、二個目の机が飛んで来た。悲鳴を上げて避ける教師たちの背後で、その机も最初の物と同じ運命をたどった。
「お、お前ら、リファール先生を止めろ!」
 何人かの勇気ある風紀委員や教師たちが、ネイを取り押さえにかかる。
「だから、いい加減にしろと言うとろうがあっ!」
 呆然とする春菜や真琴を前に、ネイは暴れに暴れた。
 生徒をぶん投げた。
 教師をぶん投げた。
 柔道部顧問の体育教師までぶん投げた。
 力任せに投げ飛ばされた生徒教師が折り重なって、死屍累々の山を作り上げた。最後に風紀委員会の顧問がその上に投げ飛ばされて、一斉に蛙の断末魔のようなうめき声を上げた。
 教師の一人が息も絶え絶えになって山の中から這い出して来る。
「り、りふぁーるせんせえ、あんたこんなことやって、ただですむと」
「先に手を出したのは、馬鹿風紀の連中だっ!」
 ネイは力任せに部室の壁へと腕を叩きつけた。その一撃で鉄筋コンクリートの壁に放射状のひびが入る。
「そうでもなければ、こんな馬鹿騒ぎにならんわっ!」
 春菜がおっかなびっくりネイに近づいた。
「あの、先生。冷静になってください。これ以上暴れると、彼らの手によらずとも部室が台なしになります」

師走(16)

 ウォレスがその場に現れた時には、剣術研究会部室の周囲には二重三重の人垣ができていた。
「あちゃー、もう小娘は騒ぎ起こした後デシたか。しかし、これは」
 人だかりの合間から惨状を垣間見る。
「怪獣でも通りマシたか?」
 人波の中心では、机だったものの残骸があちらこちらに散らばり、そら が怪我をした生徒教師に、ややおざなりな治療を施している。またそのすぐ近くでは、春菜が数人の教師たちを相手に弁明を行っている。
「リファール先生の言う通り、最初に手を出そうとしたのは風紀委員会の人たちです。私たちが止めようとしたのを無理やり突破しようとしました」
「それは本当なのか? 別にリファール先生を庇い立てしなくてもいいんだぞ」
「こんなことで嘘を言って何になるというんですか?」
 教師たちは顔を見合わせる。
「まあ、今回は風紀にも行き過ぎた面があったとしてもですな」
「ここまではいくら何でもリファール先生もやり過ぎですよ」
 人垣を割ってウォレスが中に入って来る。
「ちょっと待った。これ全部、リファールせんせがやったってんデスか?」
 春菜も真琴も無言で首肯する。
「うそーん。あの小娘がいくらなんでもここまでやれマスかぁ? うちの愚妹とかならともかくー」
「愚妹だなんて、失礼ですわねぇ」
 トウカが咲哉を伴って、現れる。
「お、話をしてみれば。さあさあ、おとなしく観念してきちんと謝んなサイ。この前人のティーセット、粉末になるまで粉砕しておいてまだ懲りてマセんかねこの子は」
「それはポルターガイストの仕業ですわ。さておき、謝るも何も、ワタシたち今来たばかりで何が起こったかもよく知りませんわよ」
 その隣で咲哉が、保証しますとばかりに首を縦に振っている。
「ちょっと、マジで? 本当に小娘が? 全部?」
 ウォレスが信じられぬとばかりに部室の中を見る。
 部室ではそのネイ本人が、漫画本を目隠しにしてふて寝していた。

師走(17)

 二つの人影が、汝鳥の中心に向けて歩いている。
「ふみいいいい」
 おかっぱの少女が両腕に大きな紙袋を抱えて、悲鳴を上げる。
 一方大介は、少女の倍近い荷物を抱え、滝のような汗を流しながらも、黙々とそれを運んでいる。
「とっとと歩け。イライラする」
「な、なんでわ、うちが荷物持ちを手伝わなきゃいけんのでしょうか」
「他に人手がいねぇからだ。ゲー公は戻ってこんし」
 大介が少女を睨む。
「で、お前一帯何しに来やがった」
「こ、この前の、お礼を言おうと思いまして」
「たかが焼き蕎麦一杯でかよ。イライラする」
 大介は苛立ち紛れに少女を睨み回す。容姿と言い少々天然の入っているリアクションと言い、本当に恋花とよく似ている。唯一違うのはどう頑張っても稲荷の耳も尻尾も見当たらないことだ。あとは口調が微妙に違うくらいか。
「礼がしてぇんなら、それこそ黙って手伝いやがれ。でもってそれが済んだらさっさと帰れ。これ以上付きまとうな」
「あ、あう」
「ただでなくてもうざってぇ蝿が着いて来てるんだからよ」
 少女の表情が石化する。
「ほえ?」
「後ろは見るな。ほれ、あそこだ」
 大介は一件の、少々年期が入った店舗らしき建物を顎で指し示した。二人は店の引き戸を開けると、持って来た荷物を中に運び込み、戸を閉める。
 さて、それからしばらくして。数人の学生が店の前にやって来て、引き戸を軽くノックする。
 威勢よく扉が開いた中から、禿頭の老人が姿を現した。
「なんだぁ、おめぇら。客か?」
「い、いえ、そうじゃないんですけど」
「だったら、とっとと帰ぇれ」
 老人が扉を閉め掛ける。学生たちは慌ててそれを止める。
「いやあの、待ってください。今さっき、二人組の客がここに来ませんでしたか」
「おうよ、うちの上客だ。それがどうした」
「実はその二人組はうちの学校の生徒なんですけど。彼らは学校で禁止されている妖怪バスターをやってるかもしれない連中でして」
 老人は全てを聞かずに即答する。
「知るか。帰ぇれ」
「ちょっと、聞いてください。中で一体何をやって」
「いいから帰ぇれっつってんだよ、このスットコドッコイ!」
 老人の禿げ頭に二本、三本と青筋が寄る。
「人様の客を調べ回そうたぁどういう魂胆だ、ああ!? てめぇら何か、うちの店が良からぬことでも企んでるような言い草だな?」
「い、いや、決してそんなつもりで言ったんじゃ。ただ私たちは問題のある生徒をですね」
 学生の肩の辺りを、風が通り抜けた。
「?」
 ふと、頬が濡れたような感触。何の気無しに手で触れて見る。
 指が真っ赤に染まっていた。
「!」
 頬が三センチほど水平に、痛みを感じないほどすっぱりと切れていた。
 学生たちが絶句して、背後を見る。背にしたコンクリートのブロック塀に、柳刃包丁が一本、水平に突き立っている。
「おおっと、手が滑っちまったか。まったく、耄碌すると手先が狂っちまっていけねぇや」
 改めて正面を見て総毛立つ。老人が包丁を片手に学生たちを睨みつけている。
「で? まだ何か用か? あんまりしみったれた用事だと、もう一、二回手が滑るかもしんねぇぞ」
 学生たちは一瞬顔を見合わせると、一斉に回れ右する。
「し、失礼しました」
 老人は学生たちを見送った後、塀に刺さった包丁を引っ張り抜いた。
「けっ。一昨日きやがれ!」

師走(18)

 播磨源蔵が、店の奥にある居間に戻ってくる。
 那須子の洗脳映像は、確かに源蔵にも見えていた筈だが、この八十の齢を越えてなお矍鑠とした老人にさして動じた様子もない。汝鳥市内で相次ぐ妖怪バスターの離脱も、彼から言わせれば「腑抜けた連中が居なくなってすっきりすらぁ」の一言で片付けられてしまう。長年に渡り妖怪バスターの、そして人間の醜い側面を嫌というほど拝んできた彼にとって、那須子の術に屈するということは意志薄弱以外の何物にも映らないのであろう。
 そんなわけで、最近の播磨金物店は妖怪バスターたちの駆け込み寺的な様相を呈している。源蔵もまたその状況を、文句など並べながらも躊躇なく受け入れている。
 壁に寄りかかって、少女に扇がれていた大介が、顔を上げる。
「おい、爺ぃ。一体誰が来やがった」
「何でもねぇよ。ったく、おめぇと言いさっきのと言い、よく邪魔の入る一日だぁな、まったくよぅ」
「あたしゃ構やしないよ。どうせどいつもこいつも爺さんのところを頼りにくるのは分かりきってたしね」
 さてそう言って顔を上げたのは朱陽である。正座した彼女の正面には、汝鳥神社の神木から切り出してきたという、くだんの大枝が横たわっている。
「しかし、だ。こいつをどうにかしてもらうために播磨の爺さんの店に来てみれば、もとの持ち主までここに居るとは思わなかったね」
 朱陽が視線を部屋の隅にやる。座して静かに湯呑みを傾けていたのは、相馬小次郎。朱陽に神木の枝を託した張本人である。
「もっと早々に立ち去るつもりだったのですが、ここにいろと押し切られました。
 色々と行き違いがあったのは謝ります。でもあともう一つ、謝らねばならないことがある。大事なことを言い忘れていました。白河塗りを施されたものは、頭に当たれば死ぬと言われているほど、頑丈になるということ」
 源蔵が、歌うように言葉を紡いだ。
「『世の中に、固い物なら多々あれど、頑固親父の石頭と、白河さんの白塗りに、固さで勝る物はなし』ってな。だが今じゃただの語り草の京汝鳥の白河塗り、お目にかかれるたぁおもわなんだぜ」
 朱陽が源蔵に尋ねる。
「何とかなりそうなのかい?」
「全然駄目ってこたぁない。白河塗りの工法さえ知ってりゃな。
 聞いて驚け。白河塗りの原料は『大豆』だ」
「はぁ、何だって!?」
 源蔵は大枝を拳で軽く叩いた。金属のような澄んだ音が部屋中に響く。
「嘘じゃねぇ。細かく砕いた大豆を、秘伝と言われた方法で流し固めることによって、岩よりも固くすることができるって寸法よ。そして大豆だけに、植物とは相性がいい。
 まあ、それさえ知ってりゃ木刀の一本や二本、簡単に切り出せる。大船に乗ったつもりでいな。だが、少々銭は張るぜ」
「そいつはかまやしない。決戦兵器になるんだ、けちなことは言わないよ」
 ふと、店の表に人の気配が現れる。やって来たのは智巳と瑠璃の二人である。
「資料、持って来ました。残りは今、柚木先輩が取りまとめています」
 大介が柱に寄りかかったまま支持を出す。
「鷲塚、もうひとっ走り行って、残った資料をここまで運んで来い。おい爺ぃ、しばらく置き場所借りるが、構わねぇな?」
 源蔵が大枝に手を触れながらそれに答える。
「好きにしろい。だが、俺の寝る場所まで埋めるんじゃねぇぞ」

師走(19)

 翌日、図書準備室前。
 数人の風紀委員たちが前日のリベンジを果たすべく、その扉をノックする。
「すみません、よろしいですか。うちの先生の許可とってますから。委員会の権限で調べて良いことになってますから。入りますよ?」
 ドアノブに手をかける。カギがかかっていたとしても、合鍵は準備しているからなんら問題はない。少なくとも彼らにとってはそのはずだった。
 ドアは抵抗の意志を見せずにあっさりと開く。委員たちは中に踏み入ろうとして、足元の柔らかい感触に、足を止める。
「フギャアアアアア!」
 思わず足をすくめると、足元にいた白猫が恐ろしい勢いで部屋の奥へと逃げて行く。それが合図となって、部屋の中から剣呑な鳴き声が響き渡った。
『フウウウウウウウウー』
「な、なんだ!?」
 委員たちは言葉を失う。戸棚に、テーブルに、当然床にも、大小さまざま色とりどりの猫が鎮座して、こちらを睨み毛を逆立てている。
 その中央で、藤間美音子は餌をやる手を止め、剣呑な表情で委員たちを見上げる。
「何か、御用かしら?」

師走(20)

 播磨金物店。
 塔子は部屋中に積み重なったファイルや古書など、妖怪バスターの過去の活動の記録を見回した。
「退避してきた資料はこれで全部か?」
 輝充郎が右手を上げる。
「剣研は少なくともこれで全部だ。そっちの方はもっと資料の類いが多かねぇか?」
「ここに入りきらん分は夕凪に移送する。学校の連中も流石に自宅を荒らすまでのことは考えないだろうしな」
 その場にいた全員、剣術研究会とオカルト・ミステリー倶楽部のほぼ全部員が、ため息を漏らす。
「しっかし、どうする? こっそりトレーニングしようにも、先読みしたようにガッコの連中が控えてやがるし」
「大方、高原が我々の動向を逐一告げ口していると見て、間違いあるまい。意地でも我々に妖怪バスターを否定させたいと見える」
 そこに、別の声。
「そいつは、困るな。せっかくの手駒がやる気をなくしてくれるのは、大いに困る」
 全員が声の主に、一斉に注目した。瑠璃はゆらりと立ち上がると、妖怪バスターたちを睨み、腕を組んだ。その尊大な仕草は普段の瑠璃からは考えられない。
 吹雪が口を開く。
「あんた、大黒天か」
「如何にも。今は多賀野瑠璃の体を借りている。自己紹介は必要なかろうし、俺もお前たちのことは、多賀野の感覚を介してよく知っている。例えば俺の目の前の、有資格者に選ばれなかったってぇだけで周囲のすべてを妬んでると自称して憚らない、甘ったれた糞餓鬼の事とかな」
 吹雪が歯噛みする。気に入らない。何が気に入らないって、斜に構えた厭味を言うのは俺の専売特許だってぇの。
「で、その神様が何の用件っすか。まさか、この状況をなんとかしてくれるとでも?」
「いいや、違う。神ってな放任主義だからな。かかる状況は一種の試練と捉える。だが、助言はできる。要は地蜘蛛衆とやらが作り出したこの御平和な状況下でも、牙を研ぎ続けることができればいいわけだろう? お前らの能力で、上手いことやって見せろよ」
「そんなもの、助言されるまでもないっす。大体、俺は神に対する畏怖を捨てるつもりはないけど、その体の持ち主みたく、神に使われるつもりはないんですがね」
 瑠璃の体を借りた大黒天が、鼻で笑う。
「つまらんところにつまらん拘りを持ってんじゃねぇよ、たかだか生きて十数年の青二才が。そんなだから七月のに弄られるんだ」
「弄られる?」
「覚えてないんだろ? ま、本人に会ったら聞いてみな。さておき」
 大黒天は歯軋りしている吹雪を捨て置き、全員を見回す。
「お前らに、うってつけの訓練場を紹介してやろう」

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